「人間ってものは自分を認められたいという気持ちがあるんです。どんな小さな子どもでのね、認められたいんです。…
まず認めるということが、私、非常に大事だと思うんですよね。認めてもらえばね、なんとなく嬉しいんです。なんとなく嬉しい気持ちですね。それから聞くとね、悪口でも聞けるんですよ。…
認めてやる。これは甘やかすことじゃないんですよ。そこんところ、間違えずに。甘やかすというのはね、何でもかんでも賛成しちゃうことなんですよ。いいですか。…
ちょうど3歳くらいからね、5歳くらいまでの間っていうものはね、これは自律性のときなの。そのときにね、一番問題なのは、自分がそれまで思わなかった、いろんな欲望が出て来る、わかって来る、そういうときにそれをやろうとすると、なかなかそれがうまくできない場合がある、ね。そういうときに、これをですね、なんでもやらしちゃうとですね、それこそ、自分の思うことを何でもね、衝動的にやるというね、そういう人になりがちなんです。
この3歳から5歳を僕は非常に重要視するんですがね。その頃に、できないこととできること、こういうことは許されないことであり、こういうことは許されることである。それをはっきりお母さんがケジメをつけて言わないといけないと思います。…そのことがね、後に彼および彼女にとって非常な、僕は、幸せになると思うんです。つまり衝動的にならないんですね。…
けども、そのときにです、単にやかましいんでなくて、どうかね、あなた方の、これは本当に自分はいけないと思うんだと、心ね、自分の気持ち、そういうものがね、素直なね、本当に子どものためを思う愛情というものであるかどうかっていうことをまず吟味してね。…つまり、どういうことかと言えば、子どもにとって大事なことは、お母さんが本当に、正直に感じて、自分を愛して認めてくれているかどうかということが、正直にというポイントが要るわけ。口先でなくて。そういうことが一番子どもにとっては大事なことなんです。」(近藤章久講演『子どもの自殺と非行に走る心理』より)

 

認めるということは、単に甘やかすことではない。
ケジメをつけて言うということは、単にやかましいことではない。
認めるときも、ケジメをつけて言うときも、子どもの存在の根底にある生命(いのち)に対する畏敬の念がなくちゃいけない。
そんな大切なものをこんなポンコツな親に託されたのだから、ポンコツなりの精一杯で、愛し、認め、ケジメをつけ、この子がこの子になりますようにと祈りながら育てなくてはいけない。
その祈る姿勢の中に、あなたの感情を超えた愛が、あなたを通して働くのである。
ですから、子どもの存在の根底にある生命(いのち)に対して、すべてを投げ出して合掌礼拝(らいはい)する(=手を合わせて頭を下げる)ことを強く強くお勧めします。

 

 

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