聖母マリア像には非常に多くの種類が分類されていると聞くが、私としては、聖母マリア単独で両手を広げている像が好ましい。
また仏像にもさまざまな種類があるが、私としては、如来や菩薩が施無畏(せむい)与願(よがん)印という印相を結んでいる像が好ましい。
施無畏とは畏れを取り去り、与願とは願いを叶えて下さることを示す。
しかし、そんな説明はどうでも良い。
どちらも見ていて、自分が大いなる力に抱(いだ)かれているような気持ちになるのである。
ここに安心の原体験がある。
無力なままに生まれて、無力になって死んで行くのが、我々の運命である。
その間も、自分が自力で何でもできている、なんて思い上がらない方が良い。
その力もまたいただいたものである。
「御心(みこころ)のままに」とは、「南無」とは、大いなる力の御胸(みむね)に我が身を投げ出すことである。
“God's arms are always open”という曲を聴きながら、そんなことを思い浮かべていた。