今日は、今まで度々触れて来た、人間の「承認欲求」について改めて振り返ってみようと思う。

(1)まず最初が「他人から認めてもらう」ということ。
まず、子どもの頃の我々は、親に認めてもらいたい。
それから、先生に認めてもらいたい。
それが長じて、自分以外の他人から認めてもらいたい、という欲求を持つ。
他者からの承認が、自己の存在意義の裏付けとなり、他者からの承認は素朴に嬉しいことでもあるが、そこにとらわれると「他者評価の奴隷」の人生が口を開けて待っていることになる。
しかしまだそれが子どもの頃ならいい。
自我の発達途上にある子どもたちは
「お母ちゃんに認めてもらいたい。」
「先生に認めてもらいたい。」
「友だちに認めてもらいたい。」
と確かに思っている。
それは絵に描いたような「小児的欲求」である。
しかし、それが大人になってからもまだあるようだと問題になってくる。
「おいおい、あんたはもう子どもじゃないよ。」
と言いたくなるが、あなたもよく御存知の通り、これがいい年をした大人に非常に多い。
名声、有名になることを求める気持ち、虚栄心などなど、かなり強いよね。
あのね、成人したらね、ちょっとは成長して次の段階に移って行きましょうよ、
他者評価の奴隷の自分に、そろそろ本気で情けなさの自覚を持たれてはいかが、と申し上げたい。

(2)そして次が「自分で自分を認める」ということ。
他者不在。いや、他者不要である。
自分の価値は自分で決める。
他人から褒められようと、けなされようと、関係ない。
こうなってようやく、ちょっと成長した匂いがして来る。
自立といっていい。
しかし、注意すべき点もある。
ただの、ひとりよがりの、思い上がりの「我立」に陥らないことである。
「聞く耳持たぬ」で突っ走るだけでは、他人から認めてもらいたい「小児的欲求」は脱していても、まだまだつっぱらかった思春期あたりのお兄ちゃんお姉ちゃんレベルである。
その自分が、あなたがそう思い込みたいだけの自分なのか、本当の自分なのか、がきちんと検討されていないのだ。

(3)そして最後が「この世界から認められる」ということ。
これも他者評価は必要としないが、
自分で自分を認めるという自己評価も必要としない。
その存在を通して働く力によって
サクラがサクラするように
スミレがスミレするように
あなたがあなたするように
わたしがわたししていくのである。
いわば、わたしをわたしさせる力が、わたしを通して働いていることを感じたとき、自分の存在がこの世界から証明された体験を授かるのである。
この体験は絶対的である。
他者評価や、自己評価によるような、不安定さがない。
それでいて、これには独善の怖れもない。
サクラはこれ見よがしにサクラせず、スミレは肩で風を切ってスミレしない。
淡々と、それでいて絶対的な安定感を持って、わたししているのである。

折角、生命(いのち)を授かってこの世に生まれて来たからには、この境地を目指して、生きて行きたいと私は願っている。

 

 

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