「子ほめ」は古典落語ではよく知られた演目である。
一杯ごちそうになるために、子どもが生まれたばかりの家に伺って、子どもをあれこれ褒めるのだが、どれもこれもしくじってしまうといったお噺。

今日のテーマはそれではない。
直接に子どもに向かって褒めるというお話である。

小さくて弱い子どもは褒められ、認められたがっている。
親によって、大人たちによって、褒められ、認められることによって、子どもは自分の存在価値を感じることができる。
だから、小さくて弱い子どもは、大きくて強い親や大人たちに対してアンテナを張って、どうやったら褒められるか、どうしたら認められるかを、ある意味、血眼(ちまなこ)になって探っている。

だから、ある子は、父親が野球好きだから、本当は大して好きでもない野球をやり、
またある子は、母親の学歴ブランドを察知して、本当は大してやりたくもない勉強に集中するのである。
子どもは褒められ、認められるためなら、なんでもやる。

だから、親や大人たちの責任は重大である。
しかし多くの場合、自分たちのに埋め込まれた世俗的価値観や我欲に引き寄せたミスリードが行われる。
そして子どもたちは、本来の自分と違う道に引きずり込まれることになる。
やめましょ、そういうの。

そうではなくて、子どもに対して、この子は本来どういう子なのか、を一所懸命に観抜くこと。
そして、桜が桜になるように、スミレがスミレになるようにガイドしてあげること。
即ち、桜が桜らしいときに褒め、スミレがスミレらしいときに認めるのである。
そうすれば、子ども本人は、自分が自分であるときに褒められ、認められることで、自分が自分であることの幹を太くして行くことができる。

となると、それを言う親や大人たちにも要求されることがある。
そう言うあなたは自分が本来、何者なのかわかっていますか?
そう言うあなたはその本来の自分を実現していますか?
勿論、本来の自分の実現は、一生をかけての大事である。
そんなに簡単に達成できるものではない。
しかし、人生の先輩として、子どもたちよりもせめて半歩、一歩前を行くことはできるのではないだろうか。
それが親や大人たちの責務であると私は思う。

さて、今日からあなたは子どもをどう褒めますか?

 

 

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