加齢によって起こる難聴では、高音域から聞こえにくくなって来ることが知られている。
若い人には必要ないが、中高年の方に下の「◆ 聞こえチェック ◆」を試していただきたいと思う(厳密な医学的検査ではないので、お気楽にお試し下さい)。
ちなみに私も試してみた。
「60代の目安」の10,000Hzは聞こえたが、「50代の目安」の12,000Hzは聞こえなかった。
ただそれだけのことであるが、私の連想は他に広がって行った。
自分が聞こえてないことが、他の人たちには聞こえているのである。
つまり、自分だけが聞こえていない。
これって自閉スペクトラム(AS:Autism Spectrum)や自閉スペクトラム症(ASD:Autism Spectrum Disorder)の人たちが、周りの人は皆、他人の気持ちやその場の空気、全体の中での自分の立ち位置が読めているのにもかかわらず、自分だけが読めていないということに共通しているな、と思った。
自分だけでは、自分がわからない(わかっていない)ことがわからないのである。
しかしこうやって検査を受けてみたり、専門家や信頼できる人から指摘してもらえれば、わからない(わかっていない)ことがわかるようになって来る。
しかし、ここからが二つに分かれる。
自分がわかっていないことを認める人たちと
自分がわかっていないことを認めない人たちである。
これは、加齢性難聴の場合も、自閉スペクトラム(AS)/自閉スペクトラム症(ASD)の場合も同じなのだ。
否認する人たちは「自分には聞こえている、大丈夫だ。」と言い、「自分だって読めている、バカにするな。」と主張する。
即ち、認めるか認めないかは、能力の問題ではなく、パーソナリティの問題なのである。
認めましょう、たとえそれが“不都合な真実”であっても。真実は、事実は、変わらないんだからさ。
認めた上で、じゃあ、どうやって生きて行くか、を模索して行けば良いだけの話なんです。
例えば、私なら、こう言えば済むことだ。
「高音が聞こえていないことで何か不都合なことがあったら、教えて下さいね。」
苦手なことは助け合えば良いのである。
ただそれだけのこと。