悪性(あくしょう)さらにやめがたし
八月は 原爆忌があり 終戦記念日があるためか 戦争に関するドキュメンタリー番組が多い。
略奪 拷問 殺戮 ホロコースト 観ていて こんなにも人間は残忍なものかと思う。
昔話ではない。
今も ウクライナで ガザで 地球上で 同じことが繰り返されている。
そしてその残忍さは 特別なことではない と私は思っている。
臨床を通じて 私はそのことを知っている。
いや 臨床以前に あなたの中に わたしの中に その残忍さがあることを私は知っている。
そして 生活の中でも その残忍さは そうではないような顔をして 繰り返されている。
それくらい人間は悪い。
誰もが心の奥底にそんな闇を持っている。
あたしの心の深い闇の中から
おいで おいで
おいでをする人 あんた 誰
そんな曲を聴いていたら 頭記の親鸞の言葉が出て来た。
あのね われわれの闇の認識は 浅過ぎるのだよ。
あなたは わたしは 人間は もっと もっと もっと 悪い。
存在の奥底から 震えるほど悪い。
人間というものを 本当に理解するためには そのことを知っておいた方が良いかもしれない と思う。
そうして初めて それでもその闇を晴らす光がある という話をすることができるからだ。
闇が浅ければ それを晴らす光の話も浅くなる。
それでは 弱い 薄っぺらい 有り難くない。
あなたの持つ わたしの持つ 人間の持つ
自我中心性に基づく 残忍さ 非道さ 冷酷さ 攻撃性 破壊性 悪魔性
を徹底的に 知った上で 見据えた上で
それでも 怖れず 諦めず 呑み込まれず
求める者に 求めさせられる者に
その闇を破る光が与えられるのである。
いや 無始よりこの方 その光が与えられていたことに 気づかせていただけるのである。
深い深い闇に気づかなければ 深い深い光に気づけないのだ。
それがわれわれの宿命なのである。