労働の対価としての報酬を受け取るために働いている、という人がいる。
全くもって正論である。
それで結構な人は結構である。
しかし、私はそれではとても寂しく、全然物足りない気持ちになってしまう。
貴重な人生の時間を切り売りして対価を得るというのであれば、働いている時間はどうしても「世を忍ぶ仮の姿」、「死に体(たい)」の時間、「ゾンビ」の時間と化してしまう。
だからこそ、ワークライフバランスなどと言うのである。
収入のためにイヤなことをやっているワークはできるだけ短く、好きなことをのびのびとやれるライフはできるだけ長くと願うに決まっているのだ。
私は、一回しかない人生の貴重な時間を1秒たりとも、そんな仮死状態のような時間にしたくない。
そもそも仕事をするということは、今回の人生において自分に与えられた意味と役割を、ミッションを果たすためにある。
そしてまた、この娑婆の中で働くということは、漏れなくイヤなヤツと変なヤツに出会わざるを得ないであろうから、いつでもどこでも誰の前でも本来の自分でいられるという“勁さ”を養うため、自分が自分でいるという幹を太くして行くためにあるのだ、と私は思っている。
わかりやすいリトマス試験紙がある。
その人の仕事観をみるには、こう尋ねてみれば良い。
「あなたは10億円の宝くじが当たっても今の仕事を続けますか?」
私は10億円が100回当たっても、この仕事を辞めたくないし、絶対に辞めない。
いや、それだけのお金が転がり込んでくるということは、またどんなミッションがあるのだろうと思って、さらに打って出るかもしれない。
あなたがこの世に生を受けた以上、絶対に意味と役割が、ミッションがあるんです。
(意外なところに、意外な形で、あったりもしますが)
それを忘れないでいただきたいと強く強く思います。
(以上は、先日の「はじめまして/ひさしぶりの真夏の勉強会」でお話した「仕事観」の内容をさらに発展させてここに示した)