夢にもいろいろあるが、今日は夢が変化して行くお話。
そもそも定型分析的な夢判断は余り信じていないし、それだけで分析できるわけがないと思っている。
私としては、そのときそこにいるその人におけるその夢の意味を重視する。
今日はその中でもわかりやすい例を挙げよう(詳細な分析は割愛する)。
例えば、ある人が、子どもの頃受けた虐待の夢を繰り返し見るとする。
中には、直接“あの”光景を思い出すのは耐えられないため、親が幽霊や化け物に置き換えられることもある。
最初のうちは、その化け物に襲われて不安と恐怖に駆られ、逃げる、隠れる、身を潜める。そして汗だくになりドキドキしながら目が覚める。
そんな悪夢が続く。
そのうちにセラピーが進み、クライアントは段々本来の自分を取り戻し始める。
そうなると夢が変わって来る。
逃げないで戦えるようになる。
まだ武器は貧弱だが、ハラハラしながらも夢の中で化け物と対峙することができる場面が増えて来る。
さらにセラピーが進むと、今度は、相手の出方を待っていないで、こっちから化け物に攻撃を仕掛けられるようになって来る。
こちらの武器も段々重装備になって来たが、戦いはまだ一進一退である。
そして次の段階に入ると、化け物を打ち負かして行く場面が増えて来る。
こうなって来ると、最早「化け物」に置き換える必要もなくなり、夢の中でも「親」と戦い、押し返したり打ち負かしたりすることもできるようになって来る。
そして最後に、夢の中で、いつでもこいつを倒せる、という確信が出て来る。
そうなる頃には、実生活においても、職場においても、親に負けない、イヤな上司・先輩にも負けない、何だったらブッ飛ばす場面が増えて来て、それがまた本人に自信を与える。
段々と、いつでもどこでも誰の前でも自分でいることができるようになって来るのである。
こういう夢の変化も、それ相応の年月を要する場合が多いが、夢の変化は本音の変化であり(浅い夢は除く)、その人の本来の自己の実現具合、成長度合いを観る、良い目安となる。
最後に、私の夢の例も挙げておこう(これも詳細な分析は割愛する)。
よく空を飛びながら(草原の上を低空飛行)、真っ暗な底なしの闇の中に落ちて行く夢を見ていた。この夢は、いつからか覚えていないくらい子どもの頃から、またかと思うほど繰り返して見ていた。
それが近藤先生のところに通ううちに、真っ暗な闇の中に落ちなくなった。真っ暗な闇も出なくなった。
まだ低空飛行ではあったが、草原の上を少しずつ安心して飛べるようになった。
そして今度はどんどん高空を飛べるようになって来た。
高く晴れた空を飛ぶのは気持ち良く、雲の中も自在に飛べた。落ちる心配は全くなかった。
そしてある夜、夢の中でドイツ風のゴシック建築の壮麗な教会の中を飛んでいた。
低空から上を見上げて、高い天井ギリギリのところまで一気に上昇した。
が、急に失速し、床に向かって急降下して行った。
ああ、床にぶつかる、というスレスレのところで、
「なんちゃって。」
と言って静止し、反転して空中に上昇した。
そう。落ちることを遊べるようにまでなっていたのである。
その頃には、実生活においても、結論から本音から言える場面が増え、親は最早敵ではなくなっていた。
以来、空を飛ぶ夢は見なくなった。見る必要がなくなったのかもしれない。