ジャータカとは、釈尊の前世の物語。前生譚(ぜんしょうたん)とも言われ、このような輪廻転生を繰り返して、やがて釈尊として生まれた、というお話。
輪廻転生があるのかないのかは知らないが、ジャータカに込められた意味は掴むことができる。
近藤先生の講演録からの「金言を拾う その32」の前置きとして、今日から3日間に渡って、釈尊のジャータカをご紹介する。
【1】『月のウサギ』の話 出典『今昔(こんじゃく)物語集 三獣行菩薩道兎焼身語』
今は昔。
天竺(てんじく)(インド)で、ウサギ、キツネ、サルが一緒に暮らしていました。
3匹は菩薩行(ぼさつぎょう)を行うため、毎日修行し、お互いを実の家族のように慕い合っていました。
そんな3匹の様子を見ていた帝釈天(たいしゃくてん)は、その行いに感心し、本当に仏の心を持っているかどうか、試そうと思いました。
そこで帝釈天は、老人に化け、3匹のもとを訪ねて、「貧しく、身寄りもない自分を助けてほしい。」と言いました。
3匹はその申し出を快く受け入れ、老人のために食べ物を探します。
サルは木の実や果物を取り、キツネは魚を獲って来ました。
ところが、ウサギだけは、山の中を一所懸命に探しても、老人は食べる物をどうしても見つけることができませんでした。
そしてある日、サルとキツネに「食べ物を探して来るので、火を起こしておいてほしい。」と頼みました。
サルとキツネが火を起こすと、ウサギは老人に「私を食べて下さい。」と言って、火の中に身を投げ、焼け死んでしまいました。
すると老人は元の帝釈天の姿に戻り、ウサギの命を惜しまぬ行動を世界に示すため、その姿を月の中に映しました。
今も月の中にいるのはこのウサギで、月の表面の雲のような模様は、ウサギが焼けた煙だと言われています。
(以上、この話にはいくつかのヴァリエーションが存在するが、今回は特にアニコム損保保険のサイトの文章を下地にさせていただき、松田が改訂した。)
初めてこのジャータカを読んだのは子ども向けの絵本だっただろうか。
「私を食べて下さい。」という言葉と、ウサギが火の中に身を投げる絵に、胸を突かれたのを覚えている。
しかし、当時の私はこの話を「ウサギは偉いなぁ。」「ウサギが可哀想だなぁ。」と情緒的に(感情的に)読んでいたのだと思う。
火の中に身を投げ出したのはウサギの自力ではないのである。
ウサギを通して働く力がそうさせたのだ。
ベタベタの情だけで読んではウサギに申し訳ない。
これは偉いは話でも、可哀想な話でもなく、ただ尊く、美しい話なのである。