「人間だけですよ。松はね、どんなことがあってもちゃんと松になるんだ。イチョウはちゃんと、どんなことがあってもイチョウになるの。…どうして人間だけ人間にならないでいいか、という。えぇ?! 人間には人間になる権利がある。人間は人間になる、そういう素質を持っているわけ。…
いかに人間が健康に生きるかってことは、いかに、そういうふうな、単なる自己中心的な、利己的な、自己保存欲から抜けて、自分だけの生命だけを大切にするんでなくて、他の人の生命も大切にする、自他の生命を尊敬しながら伸ばして行くと、こういうことがね、私はもう少し眼を開いて良いんじゃないかと思うんです。
つまり、こだわりということは、大体言えば、自分自身の自己中心主義、自分自身の利己主義、利己的なね、自分の価値観をね、防衛するところから起きるところのね、精神作用だと私は思う。…
私たちはね、本質には、人間であるということ、その弱さを認める、自覚することがひとつ。さらに、人間であるということは、人間自身を、自分自身の低い人間性をもっと高い段階へ成長さす、そういうことが人間のまた可能性の中にあるということ。つまり、私たちが、言うならば、一応、そりゃあ人間らしいことだね、と言うときには、人間らしい弱さを言ってることが多い。しかしながらそれのみに堕(だ)さない。我々が人間として、言うならば、ある意味における人間を超えて、我々の、人間を本当に超えることが、逆に言うと、人間であることの証明にもなるということです。」(近藤章久講演『こだわりについてⅡ』より)

 

自分が紛れもなく自分になるということは、大切であるけれど、そこには我々の自己中心性や利己的なところが紛れ込みやすい。
そういった我々人間の持つ弱さ=自己中心的で利己的になりやすいということを認めた上で、それのみに堕さず、我々人間に与えられた成長して行く力=利他的になる、自他の生命を共に尊敬し大切にして行くことができるようになることが重要なのである。
即ち、我々が利己的であるということも、人間というもののひとつの証明ではあるけれど、それだけに留まらず、我々が利他的になる可能性を秘めているということもまた、人間というものの証明なのである。
どちらも人間だけれども、やっぱりね、闇より光で生きて行きたいね。

 

 

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