「男の人の場合でも…自分というものが、いつでもそういうステータス、つまり地位とか場所だとかね、自分のポジションだな、そういうことでもって自分というものの価値を決めてるわけ。だから、そこいらの価値をね、自分の生存とつながっていると思うから、その価値をちょっとでも傷つけられるとね、すごくそれにこだわるわけですよ。
僕の隣の人が一所懸命になって自動車を磨いているんですよね。…自動車をものすごく綺麗に磨く。…日本人はちょっとでもね、人の車でもって傷つけられるとカンカンに怒っちゃうの。つまり、あれはね、我が分身なんだな、日本人にとって、極端に言うと。自分の自動車っていうのはね…自分の分身なんだ、自分の延長なんだ、ね。それを、だから、傷つけられたりすると大変だし、だからしょっちゅうピカピカピカピカ、こうやってないと気が済まない。つまり、そういうことで日本人の場合、こだわりがひとつ増えてる。…
自分の延長であり、自分の身代わりみたいなもの。自分の身代わりだから、ちょっとガッツンとやられると、とても癪(しゃく)に障(さわ)っちゃうわけね、これね。…
万事につけて、そういうふうなことやって来ると、それにこだわってると、面白いんだけども、一体どういうことになって来るかっていうと、我々はね、しょっちゅう傷つけられ、しょっちゅうもう、心を傷つけ、いろんな小さなことにもう傷ばっかり、満身創痍(まんしんそうい)じゃないけど、しょっちゅうハートに傷ばかりしているようなことになってしまう。これが極端になると…僕が取り扱う神経症になるわけです、ね。けれどもね、これは普通の人の場合にもそれがある。
私がこだわるということに関して、こんなことを持ち出したのは、我々がこだわる中に、つまり、我々が人間として生きる上において、本当に意味のある価値というものが、実はこだわられないで、嘘の価値、我々がむしろ人間として成長するためには妨害となる…ものがこだわられているということがあると思う。」(近藤章久講演『こだわりについてⅡ』より)

 

車にこだわっている人は車を傷つけられると自分が傷つき、
学歴にこだわっている人は自分以上の学歴の人が出て来ると傷つき、
お金にこだわってる人は自分以上の金持ちが出て来ると傷つき、
地位にこだわっている人は自分以上の地位の人が出て来ると傷つく。
結局は、そういうすがるもの、こだわるものに価値を置いて、自分の存在価値と結びつけている。
つまり、裏を返せば、裸の自分に自信がないのである。
裸の自分では存在価値がないのである。
それもそのはず、子どもの頃から、自分が自分であることに寄り添われて、愛されて、育っていないんだもの。
だから、代わりに評価してもらえるものが必要になり、“メッキ”にすがってこだわるのである。
よって、そのメッキがちょっとでも傷つけられると、自分の全存在が傷つけられたような気になり、ガラスのハートは些細な出来事で傷だらけになって行くのだ。
あのね、そんな嘘のメッキはもうどうでもいいからさ、裸の自分の方に、自分の存在の根底にある尊さの方に、眼を向けて行きましょうよ、という話なのである。


 

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