第二次世界大戦中、軍医をしていた亡父の話。
戦況が悪化する一方の前線の野戦病院で、多くの兵士を看取ったと言っていた。

そんなとき
「天皇陛下、万歳!」
と言う
て死んで行ったヤツは一人もおらん。
みんな
「おかあちゃん。」
と言うて死ぬんじゃ。

最後に頼るのはおかあちゃん。
刀折れ、矢尽き、傷ついた兵士が、異国で一人寂しく死を迎えるときも、思わずその名を呼びたくなる存在なのです。

しかし、「毒親」という言葉が当たり前のように使われている現代、血縁上、戸籍上の母親が必ずしも本当の「おかあちゃん」ではないかもしれません。
そうではなくて、「おかあちゃん」というのは、いつでもどこでもどんなときでも、無条件に受け入れ、抱きしめ、愛してくれる存在の象徴なのです。

浄土門では、阿弥陀仏のことを「おやさま」と呼びます。
それは明らかに、父親ではなくて母親です。
生きることに迷い、疲れ、心細くなってたときに、おかあちゃんの名を呼ぶことが念仏、南無阿弥陀仏なのです。

また、キリスト教のカトリックにおいても、聖母マリアの人気は絶大です。
これもまた聖なるおかあちゃんでしょう。

生命(いのち)を生み出し、生命(いのち)を育んでくれるおかあちゃん。
そして最後に生命(いのち)を引き取ってくれるおかあちゃん。

凡夫であり、迷える子羊である我々は、いくつになっても、大いなる母性にすがって生きて行くしかないのかもしれません。

 

 

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