一時期、京都・奈良の寺巡りに毎年のように行っていた。
どの仏像に何を感じるか、特にお寺の中のひとつの御堂にたくさんの仏像が収められているところでは、その中で一番霊性の高い仏像はどれかを感じ分けることにチャレンジするのが最大の楽しみであった。
“造形”で仏像を見るのではなく
また、“蘊蓄(うんちく)”で仏像を見るのでもなく
さらに、“情緒”で仏像を見るのでもない。
仏像を“霊性”で観る眼を養うのがとても楽しかった。
そして毎回旅から帰って来ると、近藤先生に報告した。
先生は京都・奈良のほとんどの仏像は観ておられたので。非常に有り難かった。
「いやぁ、〇〇寺の〇〇堂では〇〇が最高でしたね。」
「ほぅ、そうかい。」
先生はニコニコして聞いて下さった。
そして翌年、同じお寺の御堂に行ってみると、豈(あに)図らんや、全然別の仏像が一番良いと感じたりする。
するとまた
「去年は〇〇が最高だと思ったんですが、見る眼が全く節穴でした。今回行ってみたら□□が最高でした。」
と申し上げると、また先生は
「ああ、そうかい。」
と笑っておられた。
そしてまた翌年、同じお寺の御堂に行ってみると、またまた全く別の仏像が最高に良い、と感じるのであった。
「いやぁ、一昨年も去年も何を見ていたんでしょうね。今回行ってみたら△△が抜群に良かったです。」
と言い、今度は先生は
「よくわかったね。」
と笑顔でおっしゃられた。
近藤先生としては幼児の成長を見守るような眼で見ていて下ったのであろう。
しかし、我ながら褒めるべきは、その年その年で自分が本当に感じたこと(本音)を何も隠さずに、ある意味、天真爛漫に先生に申し上げていたことである。
そして本音が変わって行った。
それが成長なのである。

昔の私だったら、近藤先生の反応を見ながら、どれが“正解”かを探ったことであろう。
でもそれでは、いつまで経ってもホンモノを観抜く眼は育たないんだよね。
何も参考にせず、誰にも頼らず、自分だけの感性で勝負する。
そうして初めてホンモノを観抜く眼、霊性を感じる感性が磨かれるのである。

そして今や、私が仏像好きの後輩たちに応える番になった。
ご希望があれば、京都・奈良のお勧めのお寺をご紹介しましょう。
でもそのお寺の中の仏像で、どれが一番霊性が高いかはあなたの眼で感じて来て下さい。
本音で、そして、粘り強く。

 

 

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