中学の頃、英語の授業で Sunday clothes や Sunday best という言葉を習った。
キリストの復活の日である
日曜日に教会に行くときは、着飾って行く、晴れ着を着て行く、というものであった。
初めて聞いたときに、よりによって教会に行く日に着飾るのは、虚飾に走るようで違和感があった反面、特に楽しみの少なかった時代にそれを口実にお洒落を楽しむのも良いんじゃないかと思ったのを覚えている。
神さまもそれくらいは微笑ましいと許して下さるだろう。

そう言えば、以前住んでいた地域のバス沿線には修道院があり、時々修道女の方が乗り合わせて来た。
皆さん、ご存じの修道服を着ていらしたが、その質素な出で立ちの中に、ちょっとメガネの端に花のデザインが入っていたり、黒いサンダルの甲バンドの端に星のデザインが入っていたりするのが、「清貧、純潔、服従」の暮らしの中にも、密やかなお洒落をしているようで微笑ましかった。

確かに、余りにブランド虚栄に走った服装にはゲンナリするが、我々の生活の中での、たまのお洒落は“地上の華”“俗世の彩り”として、なかなか宜しいんじゃないかと思っている。

昔、他人のちょっとしたお洒落を見かけると見下したことを言う、思いあがった似非クリスチャンがいた。
そいつは確かにいつも質素な身なりをしていたが、私はいつも質素にしています・虚飾に走っていません的な独善他罰の思いあがりが鼻についた。
ある日、私の前で第三者のちょっとしたお洒落を虚栄に満ちて華美だと批判したので、
「おまえの格好もまだまだ華美だよ。明日からいちじくの葉っぱ1枚で来いよ。」
と言ったのを覚えている(ちなみに女性の場合はいちじくの葉っぱ3枚となる)。
「そうしたら質素だと褒めてやるよ。」
呆気に取られた顔をしたそいつの肩を叩き、
「May you be blessed.」
と言うと、それを見ていた別のクリスチャンの友人が大笑いをしていた。

どうぞ生きてる間のことです。
いちじくがイヤな方は、たまにはお洒落を楽しみましょう。

 

 

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