「ホーナイが…日本に行って、経験したところ、見たところによれば、日本人全部がそうじゃないのですが、日本人にははるかに西洋人よりも、少なくとも日本の精神的な歴史の中に、本当に人間というものの成長 ー 真に良く生きることに関して、高い精神レベルのものに本当に達しうる色々な伝統があり、方法があると感じたと言いました。しかし残念なことに、今どちらかというと形式化している面もあるようだ。中には本当に生きているものがある。それは素晴らしいものなのだから、これをなんとかはっきりした形で表現して、日本人から世界に対する精神的な寄与として貢献してもらいたいと言いました。
…日本人を治療するのは、やはり日本人の持っている知恵だと思います。たとえばこういうことがあります。沢庵禅師、漬物を作った人ですが、この人の作った和歌に参考になるところがあると思いますので読みます。

『まだ立たぬ 波の音をば 湛(たた)えたる 水にあるよと 心にて聞け』

この歌は、まだ波の音が立たない、その音が立たないうちに、じっとたたえたその水の中に、その音がすでに潜んでいることを聞き取れ、心聞け、ということを言っています。こういうことを言いうる先人たちを持つ我々です。西洋ではそれをクライアントが言葉に出して、波の音がざわざわして、荒波が立ちさわぐようになってはじめて、その意味はどういうわけでしょうかと聞き始めるわけですね。今の日本のあなたがたセラピストはやはり同じ様に、大きな波の音が聞こえるようになって、その波の音を聞いて、何故そんな音がするのかと考え始める。けれども30年くらいセラピーをやっていますと、多少この趣(おもむき)がわかるのですね。敏感性というものに関連しますが、

 霜(しも)を踏んで堅氷(けんぴょう)に至る

という言葉があります。つまり霜の落ちた時点で早くも氷を感じることです。まだ立たない波がそのうちに立ち始める。波の音は今現在静かなたたえた水の中にあると感取する、そういうことを感じることが必要だと思うのです。」(近藤章久講演『文化と精神療法』より)

 

日本人の持つこの敏感さ、正確に言えば、何人(なにじん)でも良いのですが、この日本の風土と伝統の中で育つうちに与えられると言いますか、この風土から薫習(くんじゅう)されると言いますか、そういうものがあるんです。
このことを思うとき、この国に生れて良かったなぁ、と本当に心の底から思います。
その敏感さを発揮して行く。
その敏感さを磨いて行く。
現代化し、欧米化することによって、理性化はしたけれども、鈍化し、劣化してしまった敏感さがあるわけです。
それでは理屈は立っても、クライアントの中に動いている真実を掴めない。クライアントの成長に寄与できないことになります。

こういうトレーニングは、本当は優れたセラピストのセラピー場面に陪席して磨いて行くのが一番良いと思うのですが、実際には難しいため、ある人(クライアントであろうと一般の人であろうと)について、自分が感じたことと信頼・尊敬できる人(師)が感じたこととの異同を検討することによって、磨いて行くのが良いのではなかろうかと思っています。

近藤先生の著書の中に『感じる力を育てる』があります。
やはり生命(いのち)を育てる際に一番大切なものは何かというと、感じる力、敏感さに尽きますね。

 

 

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