公園で若いお母さんが小さな子ども二人を遊ばせていた。
やっと歩き始めた下の男の子が転んで泣いているのをお母さんが抱き起こしている。
4歳くらいの上の女の子は自分が地面に描いた絵をお母さんに見せたくてしょうがない。
「ねぇ、ママ、ママ!」
「ママ、見て、見て、見て!」
「ねぇ、ママ、聞いてったら!」
見て、聞いて、かまって、認めて。
ああ、こんなに承認欲求があるんだな、と思う。
これはもう我々に自我意識が芽生える以上、仕方のないことだと思う。
自我が芽生えれば、他とは違うこの存在の意義を、価値を認めてもらいたくなるのは当然だ。
忙しいお母さんは大変だけれども、できるだけ子どもたちの承認欲求を認めてあげていただきたいと思う。
しかし私に言わせれば、これもまた小児的欲求なのである。

問題なのは、大人になってからも、この承認欲求が強い人が非常に多いということである。
多いどころか、それを求めるのが当然だと思っている人がほとんどではなかろうか。
確かに、誰かに認めてもらうとつい嬉しくなったり、認めてもらえないとうなだれてしまうようなところがまだあるよね。
あのね、大人になるというのはね、他者からの承認がなくても、一度しかない人生、自分が何をして生きて死ぬのか、自分のミッションは何なのか、を掴んで生きることができるようになることをいうのだよ。

 「世の人は 我を何とも 言わば言え 我なすことは 我のみぞ知る」   坂本龍馬

最後は「天のみぞ知る」でも良いかもしれない。
こうなってこその大人である。

道元も言った。

 「万法に証せらるるなり」

そう。
究極の承認欲求というものがあるとすれば、人からではなく、この世界から承認されることにあるのである。

人は急には成長できないものだから、取り敢えずのところは、他者の承認を求めても良いけどさ、
あなたもわたしも、そのうち「ママ、ママ」を卒業して、いっちょまえの大人になりましょうね。


 

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