たまに一人で外食をすることがある。
食べるものにそんなにこだわりがある方ではないので、何が食べたいかというよりは一人で気軽に食べられる雰囲気の店を選ぶことが多い。
大抵は大丈夫なのだが、間違ってカウンターしか席が空いてない店に入ったりすると、マスターやら近くの席のひとり客から話しかけられることが多い。
なんだか知らないけれど、ちょいちょい話しかけられる。
職業柄、話しかけやすいというのは悪いことではないのだろうが、時と場合による。
特に孤独なお父さんや寂しいおばあさんから話しかけられることが多い気がする。
そして私の場合、仕事とプライベートでオンとオフを使い分けるような作為的な生き方をしていないので、そんなちょっとした雑談くらいでも、相手が観えてしまうから困ったことになる。
本人が気づいていないいろんな問題や生育史までもが観える。
観えてしまうものは仕方がない。
これが、昔だったら、筋金入りの聞き上手となり、相手が泣いて喜ぶくらいの相槌を打って差し上げることもできるのだが、とうに相手の主観的満足(我(神経症的自我)の満足)に沿う生き方はやめてしまったので、ご期待には沿えませぬ。
かといって、頼まれてもいないのに、相手の問題点を指摘するわけにもいかず、やがて会話は途切れ、沈黙が支配することになる。
やっぱり自分には、本気で自分と向き合って成長しようとする人以外とは話すことがないな、とつくづく思う。
そういう人は人類のほんの一部なのだけれど、私の毎日がそんな人たちとの面談で回っているという事実は、なんと幸せなのだろうと思わないではいられない。
まあまあ、八十億も人間がいるのだから、一人くらいこんな変わった人間がミッションを果たさせてもらっても良いだろうと思う。
だから
ヒマな人、話しかけないでね。
求めてる人、話しかけてね。
である。