時々講義の夢を見る。
講義の夢と言っても、なかなか講義する教室に辿り着けないという夢である。
駅に着けない、駅に着いても乗りたい電車が見つからない、乗ってもおかしなところに連れて行かれる、開講時間が刻々と迫って来る、という夢が多い。
私が私に与えられたミッションを果たして行くのに、なかなか望ましい環境が与えられない、いろいろと阻(はば)んで来るものがある、という私のこれまでの体験と実感を反映している夢だと自己分析している。
しかし、それだけだと悪夢の一種のようになってしまうが、その夢の中にも大きな希望がある。
というのは、夢の中で私の講義に向かう学生たちに出逢うと、みんな私の講義に対して大きな希望と期待を抱いていてくれているのだ。
そしてたまに教室に辿り着き、講義を始めることができると、教壇を見つめる学生たちの澄んだ眼差しがキラキラと輝いている。
これは私の現実体験と一致する。
そして、絶対にこの期待と信頼に応えなければならないという気持ちが湧き起こり、夢の中では不思議なことに、その期待と信頼に応える講義をする絶対の自信があるのだ。
これは全く揺るがない。
自分はそんなに自信家でも自我肥大的でもないと思うのだが、「私の」自信というより「天から授かる」自信であり、その意味ではこれは「自らを信じられる」という自信ではなく、「自ずから信じられる」という自信なのだ。
でもね、これはやっぱり「求める学生たち」がいてくれないと成立しないのだよ。
学生たちを貫いて働く「成長させようとする力」、そして、私を貫いて働く「成長させようとする力」、それが相俟って現成(げんじょう)する世界があるのだ。
それがたまらない。
そんな光景を、文字通り、夢見ながら、あの教え子たちの成長を、今も、これからも、ずっと願っている。
いつまでもあの眼差しでいてくれよ。
そうすれば成長の機会はこの世界に満ちている。