「男の人は、ふつう男は涙を流すものでは無いというところがありますが、しかしいったん涙を流すときは自分の腹から出たことを言います。だから男の涙は割合信頼できるけれども、女の涙はあまり信用できないときもあります。…
特に若い男性のセラピストなんか、女性のクライエントに泣かれちゃうとどうしていいかわからなくなっちゃって、つい相手の感情に巻かれて虜になります。そういう例が少なくない、若い男性の非常に弱い所だから、こういうときは距離を保つということに気を付けることです。それに対して女性のカウンセラーは、女性のクライエントが涙を流したときに割合だまされない、いわば距離が取れます。自分の経験からもわかっているのでしょう。しかし距離は取れるけれど扱いかねて、そこでただアアといって次に言う言葉を失ってしまうことがあります。そういうときにカウンセラーにお願いしたいのは『あなたの泣く気持ちはよくわかります。だけど今はどんな気持ちだったんですか、どんな感じだったので泣いたのですか』ともう一度クライエントを『認識する自我』に返してあげることが必要だと思います。」(近藤章久講演『文化と精神療法』より)
私が八雲に通い始めた頃、近藤先生から直(じか)に「若い女性の涙には気をつけるんだよ、松田くん。」と言われたことがありますが、「何に気をつけるんだろう。」と思っていました。幸い私は女性の使う「可哀想な私」にまるっきり引っかからない性質(たち)でしたので、その後も事なきを得ました(←どういう“事”があるっちゅうんじゃ)。
今回の近藤先生の言葉は、「若手向け」のものですので、少し解説が必要でしょう。
きちんとしたトレーニングを受けた敏感なセラピストであれば、若い女性クライエントの涙の中に、依存や陽性転移や無意識の(時に意識的な)罠(巻き込み)があることをすぐに観抜ける、感じ取れるのですが、
まだ若い(特にまだなって十年未満の)男性セラピストですと、簡単に引っかかったり、混乱させられたりすることが起きがちです。
まだ感じ取れないのですから、まずは意識的に、物理的、心理的な「距離を取る」のが一番無難ということになるでしょう。
また、きちんとしたトレーニングを受けた敏感なセラピストであれば、クライエントの涙の出どころを観抜き、また、今このクライエントがどこまでそれを内省できるかを観抜く、感じ取ることも難しくないでしょうが、
まだ若いセラピストであれば、とてもそこまでは観抜けませんので、感情の表出を「『認識する自我』に返してあげる」という「やり方」を行うことが無難ということになると思います。
「距離を取る」「『認識する自我』に返してあげる」などという言葉は、近藤先生は通常おっしゃられない、若手向けのアドバイスですので、そこのところを誤解なきように汲み取っていただければと思います。
セラピストがきちんとしたトレーニングを受けて、「感じる力」が磨かれて来れば、「距離を取る」や「『認識する自我』に返してあげる」という「やり方」を離れて、もっと自由自在なセラピーになって行きます。
しかしそのためには、長年の(やっぱり十年はかかるでしょうか)トレーニングが必要なのです。