まだ精神保健福祉士どころか、社会福祉士の国家資格もなかった頃、精神科病院でワーカーをやっている人たちと言えば、なかなかエッジの効いた“人物”が多かった。
資格もなく、診療報酬への直接貢献もなかったにもかかわらず、誰よりも患者さん、メンバーさんの方を向き、“志”と“誇り”を持って精力的に動いている人が多かった印象がある。
しかし時代は下り、精神医療福祉保健機関の中で、特に精神科病院の中では、医師を頂点としたヒエラルヒーができやすく、いつの間にか、医師以外のスタッフは para-medical と呼ばれて、その他大勢扱いになりがちであった。
そしてその傾向は、co-medical と呼ばれるようになっても(幾分薄まったかもしれないが)、まだ続いているように思う。
けれど実際には、いくら祭り上げられても医師というだけで全体をまとめ上げる力があるはずもなく(たまにはいたかもしれないが)、チーム全体が迷走状態に陥りがちであった。
しかし改めて、医療、福祉、保健分野の構造を見直してみると、中心となって働くべきは、車輪の軸となるべきは、ワーカーなんじゃないかと私は思っている。
あくまで患者さん、メンバーさんを中心に、あらゆる関連職種、あらゆる関連機関、社会資源の組み合わせを考え、コーディネートし、リードして行くには絶好の立ち位置にいると言える。
そうなって来ると、要求されるのは、それに相応しい“力量”と“人望”だ。
それがあれば、〇〇さんにひとつまかせてみよう、〇〇さんが言うんならそうだろう、という機運が生まれ、全体の力がひとつにまとまって行く。
(そうなって来ると、医師がチームの中心となってコケて来た歴史は、医師であったためではなく、その人に“力量”と“人望”がなかったせいかもしれない)
そして、“力量”と“人望”と言っても、“力量”の方は知識と技術と経験年数である程度はなんとかなるかもしれないが、“人望”となると求められるのはやはり人格である。
人格陶冶、即ち、人間としての成長、成熟がないと、なかなか周囲からの“人望”は得られない。
で、どうするか、となると、ここでもまた、ちゃんとした先達から、ちゃんとしたトレーニングを、知識・技術だけではない人間としての成長のトレーニングを受けることを大いに勧めたい、ということになる。
私も医師の端くれなので、〇〇さんなら全体の舵取りを安心してまかせられる、そんなワーカーと一緒に仕事がしてみたい、と切に希望している。
頼むぜっ!