あるサッカー選手がゴールを決めた。
この上なくドヤ顔のガッツポーズ。
俺が決めたのだ。
あるブラジルのサッカー選手がゴールを決めた。
空を仰いで両手で天を指さす。よく見る光景だ。
神さま、俺が決めるのを助けて下さってありがとうございます。
感謝の祈り。
さっきのよりマシだが、やっぱり決めたのは俺なのだ。
真の信仰を授かっているサッカー選手がゴールを決めた。
空を仰いで両手で天を指さす。アクションはさっきと同じだ。しかし中味が違う。
神さま、すごいですね、という讃美の祈り。
ゴールを決めたのは神さまであって、俺ではないのである。
神さまの力が自分を通して働いてゴールを決めた。
ほむべきものは、神の御名(みな)のみ、である。
だから、もし我々が何か優れたこと、すごいことをやったとき、達成したとき、それは我々の手柄ではなく、天の手柄である。
よって(天に感謝ではなく)天を讃美すべきである。
反対に、もし我々が何かひどいことをやらかしたとき、しでかしたとき、それは我々凡夫の失態なのであり、自分の非である。
つまり、
何かができたら、天の力。
何かをやらかしたら、自分のせい。
そう思えば我々はもうちょっと謙虚になれるかもしれない。