曹洞禅の開祖、道元が若くして入宋の折、船中で居合わせた老典座(てんぞ:禅寺において食を司る僧)から言われた言葉
「徧界(へんかい)曾(か)つて蔵(かく)さず」
遍(あまね)くこの世界は一度も真実を隠したことがない。
この言葉に打たれたのはもう三十年以上前であろうか。
そして同じ頃、真言密教にも
「衆生(しゅじょう)の自秘(じひ)」
という言葉があることを知った。
この世界は真実に溢れているのに、衆生の方が観える段階に至っていないため、自分で秘密にしているのである。
こちらが観えていないだけで真実はもうとっくの昔から示されていたのだ、と念押しされたような気がした。
そして近藤先生の著書も同じ頃に読んだ。
『その道は開けていた』
またもや、ああ、やられた、と思った。
こっちが気づかなかっただけで、真実への道は、救いへの道は、もうとっくの昔から開けていたのである。
近藤先生が亡くなられたとき、ああ、師を失って、これから私はどうしたらいいのか、という絶望は全くなかった。
真実は、救いは、この世界に溢れていることを私は既に知っていたからである。
近藤章久を近藤章久させていたものは、変わらず、今も、これからも、至るところに働いている。