「…私がこうお話ししましたのは、西欧における精神分析の歴史についてだけなのですが、自然科学的なものが非常に価値づけられて、自然科学こそまさにすべての真実を探究していく方法であると信じられた中に、少なくとも精神の世界だけは科学的方法で、物として眺めて理解できるものではない、ということが認められて来たことを申し上げました。このことは皆さんにとって少しも不思議ではないと思います。毎日毎日の臨床経験において、あなたがたはそれを経験していらっしゃると思います。実際に臨床経験において、ただ患者を物として冷然と眺めて、観察して、それだけで治療できるでしょうか。どんないわゆる科学的な理論よりも、臨床におけるあなた方の経験、実際の体験が、それを実証するだろうと思います。患者あるいはクライエントが変化していく場に、ただ知的な観察だけの態度では変化は可能ではありません。
フロイトも最初の頃はそういう態度があったわけでしょう。有名な『分析の隠れ蓑』という言葉がありますが、これは観察を主とした態度です。今でもそれは重宝であり、意味のあるものですが、これをあまりやると治療は一向に発展しないで行き詰ってしまいます。これはご自分でやられたら一番よくわかるけれども、治療ということはそんなものではない。人間の精神は『もの』ではないところに立脚して治療は行われるものです。」(近藤章久講演『文化と精神療法』より)

 

これは日本心理臨床学会での講演からの抜粋です。日々、臨床や福祉の現場において、患者さん、クライアント、メンバーさん、当事者さんと接している方はよくおわかりでしょう。
分析、結構。考察、結構。研究、結構。論文、結構。著作、結構。
で、その人はよくなりましたか?(何をもって「よくなる」というのかという問題もありますが)
その人は人間として成長しましたか?(何をもって「成長」というのかという問題もありますが)
そもそもあなた自身の人生はどうなんですか?
御託(ごたく)や能書きはもういいんです。
具体的に、実際に、健やかに自分を生きましょう。
そして自分以外の誰かが、具体的に、実際に、健やかに自分を生きることに貢献しましょう。
そこには、あなたの「生き方」「人格」「人間性」「存在」が大きく影響することを確認しておきましょう。
だから「現場」を持っている人は(大変だけれども)幸いなんです。
御託と能書きの隠れ蓑でチョロまかしできないからね。
 

 

 

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