「ああ、男を観る眼がなくて結婚しちゃったぁ!」
「あんな子育てしかできなくてホントに子どもにごめんなさい!」
などという女性方の嘆きの声を時に拝聴することがある。
私の答えは決まっている。
「当たり前じゃん!」
人を観る眼なんて、余程自分が成長してからでないと持てるわけがないし、
精神的には、子どもが子どもを産むんだから、全ての子育ては失敗だらけに決まっているのだ。
だから、せめて若い人たちに申し上げたいのは、
できる範囲で良いから、本当の自分、本来の自己というものを追究して行こうよ、せめてそういう姿勢を身につけようよ。
自分が自分に近づけば近づくほど、相手が何者かを観抜く眼が養われるし(自分を観る眼と他人を観る眼は必ずセットなのだ)、
子どもに対しても、本来のこの子はどういう子なのかを観抜いて(感じ取って)、その上でこの子がすくすく育つことができるように関わりやすくなるだろう。
そして、既に結婚している人、
あるいは、子育てしている人は、
どうしても合わないなら相手と離婚するのも面々のおはからいで“あり”だけれども
まだ縁がありそうであれば、まだお互いに、実は気づいていない出逢いの意味と役割を見い出して行く方向性もあるし、
子どもに対しても、改めてこの子がこの子でありますように、と祈りながら(子どもが何歳になっていても)関わることが出来るんじゃないかと思う(子どもがある年齢以上になれば、敢えて関わらないという選択肢も含めて)。
やっぱり、戻るところは、我ら人間は凡夫、ポンコツのアンポンタン。
後悔だらけで当たり前(むしろ自分の言動に後悔のない人たちの方が恐ろしい)。
問題は、で、どーする。
凡夫なりに一所懸命に、そして足りないところは手を合わせ頭を下げて祈りながら、どうにかこうにか生きさせていただけるんじゃないかと思うのでありました。