大原則として、我々は自分を生きるために生命(いのち)を授かって生まれて来た、と私は思っている。
よって、人間には、魂を売って自分以外を生きるという選択肢はない。
しかし、例えば、学校やクラスが病んでいる場合がある。
ならば、そんなところに行く必要はない。
不登校、大いに結構である。
また、会社が病んでいる場合もある。
ならば、そんなところに行く必要はない。
退職、転職、大いに結構である。
また、引きこもるという道もある。
それも大いに結構だ。
しかし、問題は、それで終わりですか?というところにある。
ずーっと不登校の子がいる。
ずーっと引きこもりの子/人がいる。
何度も何度も転職を繰り返している人がいる。
逃げるだけですか?
成長はないのですか?
例えるならば、まだ自分が自分である幹が細い場合、強い逆風の中に身を置くと、幹が折れてしまう危険性がある。
だから、一時的に風の弱いところへ避難するのは全然構わない。
しかし、残念ながら、この世の中にパラダイスはない。
どこかにイヤなヤツや変なヤツが必ずいて、何らかの逆風があるのが娑婆の実状である。
従って、自分が自分である幹を太くして行かなければならない。
それを成長というのである。
逆風に負けず、自分を保てる幹の太さ、それを養って初めて自立した大人になることができる。
だから私は、不登校の子、引きこもりの子/人、転職を繰り返す人に言うようにしている。
今は逃げたって良いけどさ、ただ逃げ癖がついただけの人間にはなるなよ。
今日より明日、今週より来週、今月より来月、今年よりも来年、ほんの少しずつでも自分が自分である幹が太くして行け。
それを怠るな。
そうすれば、いつか必ず逆風をブッ飛ばせる日が来る、と。
では、自分が自分である幹を太くして行くにはどうしたら良いか。
本当の意味で“勁い”人間になるにはどうしたら良いか。
それはそれができている人間に訊きなさい。
(間違っても、魂を売ってうまいこと生きている人間には訊かないように)
それができるか否かで、人生が根底から変わることだけは事実である。