「村八分」という言葉がある。
(現在は放送自粛対象の言葉になっているそうだ)
諸説あるようだが、村の秩序を乱した者に対して、村民全体が申し合わせて、例えば、村落生活における重要な十の活動のうちの八つ(冠(成人式)、婚(結婚)、出産、農作業の手伝い、新改築の手伝い、水害時の世話、病気の看病、法事)について、一切の協力や交際を絶つ制裁行為と言われている。
ちなみに残る二つは葬(葬式)と火事。これだけは協力するようだ。
いずれにしても非常に病んだ習慣であり、現代の法律では「共同絶交」、人権侵害や脅迫などの違法行為として、既に数々の事件、裁判が起きている。
また、今の学校や会社、近隣地域で起きているいじめやハラスメントの中にも、「村八分」類似のものが少なからずある。
どうも陰な話題だが、今回取り上げたのは、「村八分」そのものの話をしたいわけではなく、実際にあなたが、このような状況=不当に村八分される状況に置かれたとき、あるいは、置かれたと想像したときに、どういう心持ちになるか、ということを訊きたかったのである。
気分が良くないのは当然であろうが、それだけにとどまらず、
下を向いてワナワナと震え、恐怖と無力感に苛(さいな)まれるのか。
上等じゃないか、百倍返しでやったろうじゃないの、と戦闘意欲に燃えるのか。
その間のグラデーションもいろいろあるであろう。
そこにあなたの今日までの生育史上の体験が影響して来るのである。
特に前者の心持ちに近い場合、自分の中に解決すべき問題があることを自覚した方が良い。
どこかに痛めつけられ、孤立無援の中にいた過去が臭う。
そして準備が整ったら、その問題と向き合って解決しておいた方が良いと思う。
あなた自身の人生を守るために。
そしてあなたの大事な人を守るために。
私も別に好戦的なわけではないが、田舎の少女が村八分と毅然と戦った事件の話などを読むと、とても心強く思う。
あなたがあなたとして生を授かった以上、屈従して魂を売り、ヘタレの人生を生きる選択肢はない。
あなたがあなたを生きるために、時には悪の闇を叩っ斬る必要がある、勁(つよ)く、深く、真っ二つに。