ある職場の歓送迎会で出かけた居酒屋で、畳続きの隣の座敷から聞くでもなく聞こえて来た大学生たちのやりとり。
どうも福祉系の学生たちのクラスコンパらしい。
したたかに酔っ払った一人の女子大生がワインのおかわりを注文している。
心配した友だちらしき子が
「あなた、もう十杯目でしょ。いい加減にしなさいよ。」
と窘(たしな)めるが、そんな言葉はどこ吹く風。

深酔いをからかって来る男子学生に対して、
「あんた、私を狙ってるでしょ。」
と言いながら自分から抱きついてキスをする始末。
イヤな嬌声が聞こえて来る。

そうしながら、
「こんなことしてると、また彼氏に怒られるんだよねぇ。」
と溜め息をつく。
対人援助職関係の若い女性に偶(たま)に見る光景だ。
酩酊して女を安売りする女。

他人の援助などしている場合ではない(でも他人の援助はしたがる)。
もうこれだけで、この子の生育史が見えて来る。
寄り添われずに、あるいは、酷い目に会いながら(そこに性的エピソードがある場合が多い)育ち、
自己評価は限りなく低く、
その奥に秘めた攻撃性がある。
女を使えば馬鹿な男が引っかかることを知っており、
ほら、おまえもどうせヤリたいだけのクソ男だろうと思わしめ、
自分もまた、どうせ誰とでも寝るクソ女であることを確認する。
自分一人で苦しまず、男を巻き込むところにこの女の攻撃性がある。
気の毒なのは、こんな女を彼女にした彼氏であり(その彼氏がそんな彼女に惹かれるのにも理由がある)、
何度も何度も彼女を救い出そうとして踏ん張るが、
若い男性にとって、酩酊して誰とでも寝る彼女というのは、簡単に耐えられるものではない。
そして、頑張って頑張って頑張った挙句に、耐えきれなくなって放り出す。
最後に残るのは、自分一人を愛してもらえなかった無価値感と彼女を救えなかった無力感という苦々しい思いであり、
女の方も、今度もやっぱり見放された、やっぱり誰にも愛されない自分を確認できる。
こんな心理描写ならまだまだいくらでも書けるし、これに類するテーマを扱った小説は古今東西に存在する。
さて、どうしたものやら。
でもやっぱり行き着くところは、彼女が心の底から「情けなさの自覚」を持ち「成長への意欲」を持つようになるしかないのである。

そうでないと、これは止まない。
そして、女を使うのにも引っかからず、繰り返す自己破壊にも見放さず、この子の内なる成長の光を信じて、息長く付き合えるのは、“治療”の“プロ”しかいないんじゃないかと思う(他には余程の人格者か宗教者か)。
しかしそのためには、彼女が
“治療”の“プロ”のところに出かけて行く必要がある。
それは一体いつになるのだろうか。
実は、彼女だけではない、さまざまな問題を抱えた人間が数え切れないほどいて、右往左往しながら彷徨(さまよ)っているのが、この娑婆の実態なのである。
祈りながら待つ、祈りながら待つ、つながるその日を。
まだまだ続く酒宴を背に、まずくなった酒杯を置いて、ひと刹那(せつな)瞑目し、店を出る私であった。 

 

 

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