生きていればいろいろなことが起こる。
しかし時は常に流れ、「今ここ」のことが忽(たちま)ち「さっきあそこ」のことになって行く。
それでも物事に執着する我々の我は、いつまでも「さっきあそこ」のことにしがみつく。
それが「今ここ」を蝕(むしば)み、二度と返らぬ「今ここ」を刻々と台無しにして行く。

仏教では、摩拏羅(まぬら)尊者の言葉として
「心は万境に随(したが)って転ずるも、転ずる処(ところ)実に能(よ)く幽なり」
(心はあらゆる環境に随順して転変しながらも、その転変のしかたは何とも秘めやか)(入矢義高監修・古賀英彦編著『禅語辞典』思文閣出版)
が有名である(以前、引用した気がする)。
森田療法においてもしばしば引用される言葉である。

こんな難しい言葉を使わなくても、例えば、内田麟太郎の絵本『ともだちくるかな』(偕成社)の中でも、
オオカミによる
こころころころ、こころはころころかわるのだ
という名セリフがある。
DVD絵本も出ており、よくできている絵本なので、関心を持たれた方は読んで(観て)みていただきたい。

また、英語の諺(ことわざ)にも
A rolling stone gathers no moss.
(転石(てんせき)苔(こけ)むさず=転がる石に苔は生えない)
がある。
(御存知の通り、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズの名前の出自である)
さまざまに解釈されているが、上記の意味に沿って考えると実に奥深い。
こころもまた常に転がっていないと苔が生えて来るのだ。

引用ついでに和歌をひとつ。
世の中を 何に譬(たと)へむ 朝ぼらけ 漕(こ)ぎ行く船の 跡の白波」(『拾遺和歌集』)(『万葉集』に本歌あり)
(世の中を何に譬えようか。夜明けに漕いで行く船跡の白波)
船が立てる白波が、立っては消え、立っては消えて行くわけである。
それが人生。

この真実は、身近な幼い子どもたちを見ていてもわかる。
健康な彼ら彼女らの心は実によく転じていて、後を引かない。
「今ここ」「今ここ」の連続である。

そういう心の本性を忘れてはならない。
心がよく転じないとき(過去にとらわれているとき、生育史にとらわれているとき)、それは心に苔がついているのかもしれない。

そしてまた、転じなくなった心を本来のありようにリセットするために、呼吸や祈りがある。
先人の智慧は、実に有り難いものだと思う。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。