“治療”の面談場面においては
クライアントの「沈黙」には大きな意味がある。
それこそ、対人援助職に対するテスティングに使われることもあれば、
クライアントの深い問題に触れて、クライアントが何かを心の奥底でじっくりと味わっているとき、あるいは、何かが結晶化して来るのを待っているときである。
しかし「沈黙」に弱い対人援助職は、その「沈黙」に耐えられず、ついベラベラと薄っぺらなことをしゃべり、クライアントの不信と失望を招く。
対人援助職には、悠々と「沈黙」に付き合う力量が必要である。
但し、クライアントが何かこちら(対人援助職)から話して(声をかけて)もらいたくて「沈黙」しているときもある。それがわからずこちらも「沈黙」していれば、それはクライアントに苦痛しか与えない。

近藤先生のクライアントで、半年間ひと言もしゃべらなかった外国人女性がいた。
週1回50分の面談である。
師は全く困らず、クライアントを大きな気で包んで、スッとそこに座っていた。
そして半年後「ドクター近藤、おまえは信用できる。」と言って、彼女は話し始めた。
そんなことがある。

“成長”の面談場面においては
ほぼ「沈黙」は存在しない。
クライアントは「情けなさの自覚」と「成長の意欲」を持って来ているはずだもの、自分の成長課題や問題の話をするのに50分で足りるはずがない。
あれもこれも課題だらけ問題だらけのはずであるから。
私が近藤先生のところに通っていた頃もとても1回50分では足りなかった。
準備をしなくても話したいことが次から次へと出て来た。
(もし出て来ない人がいたら準備した方が良いかもしれない。時間がもったいない)

唯一の例外は、“治療”の面談場面と同じく、クライアントの深い問題に触れて、クライアントが何かを心の奥底でじっくりと味わっているとき、あるいは、何かが結晶化して来るのを待っているときであろうか。
そんなときは私もただ“沈黙”に付き合う。
こころの中で祈りながら。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。