「その成功というのは、数学で計算された企(たくら)みと謀略とか裏切りとかで成り立っているもので、いわば『後ろ暗い成功』なのです。」(近藤章久対談『人間を育む心』)
「私はよく『成功した神経症』という言葉を使います。現代は大人の世界を見ても自我中心主義で、自分本位、つまり簡単に言ってしまえば、我がままで、自分の思うがままに出来ればそれでいいのです。そうして、その目的は何かというと…政治的な権力もあれば、経済的な金力もあり、地位や名声という権威の力もある。そういうものに成功したとすると、自分では社会的にも人間として非常な成功をしたと思ってしまう。…しかしその成功というのは、数学で計算された企(たくら)みと謀略とか裏切りとかで成り立っているもので、いわば『後ろ暗い成功』なのです。昔は後ろ暗いという言葉を本人もある程度分かっていて通用しましたが、今ではそれが当たり前になってしまっていますね。逆の言い方をすると、陰のない人間は、薄っぺらな人間だとも言えます。そういう薄っぺらな人間が大人の世界で増え、全般的になった。…どうも人間が深くなるどころか浅くなって来ているように思えてならないのです。」
この「後ろ暗さ」の自覚を決して否定的にのみとらえず、そこに人間としての「深さ」を見い出しているところは流石、近藤先生だと思います。
どこかで馬鹿らしい、くだらない、汚ならしいと思いながらも、権力や金や地位、名声を求め、それが手に入るとつい喜んでしまう自分というものに対しての偽らざる自覚。
それが人間としての「深さ」をもたらすことがあるということ。
だからこそ近藤先生は、同じ対談の中で子どもたちの「不登校」を取り上げた際に、子どもと父親との関係について、
「父親の場合には、会社や社会の価値観に屈しながら、いろいろなことをやらされていますね。その中で、いろんなことを見せられたり、苦しみもあるわけです。しかし、そのことを家族の前では普通は何一つ言いません。…父親も彼なりに必要悪の中で苦しんでいるんだ、社会の価値観の中で苦しんだり悩んだりしているんだということが、今度は子どもに通じますと、子どもとの関係でいろんなことに役立つと思うのです。そうすると、自分の父親に対して抱いていた反感もなくなってくるし、ああ父親も何も言わないけど苦しんでいるんだという気にもなってきて、子どもも今までとは別の見方が出来るようになりますよね。」
私が常々申し上げている「情けなさの自覚」は、もちろんそれを乗り超えて成長して行くためのものでありますが、
それは、それ以前に、人間の持つ「弱さ」「愚かさ」「ずるさ」をそのままに認める「後ろ暗さ、後ろめたさの自覚」でもあり、その自覚が人間に「深さ」や「陰」をもたらす、ということも知っておいていただきたいと思います。