基本的に人類全員に問題があると(「問題」と言って語弊があれば「成長課題」と言ってもいい)私は思っている。
臨床においては
彼ら彼女らは苦しんでいる。
だから、その問題/成長課題について真剣な話ができる。
ヒリヒリとしたやりとりにやりがいを感じる。
成長においては(八雲総合研究所においては)
彼ら彼女らは求めている。
だから、その問題/成長課題について本気の話ができる。
真っ直ぐに向き合ったやりとりにミッションを感じる。
それ以外の場面で接するフツーの人は
すぐに彼ら彼女らの問題/成長課題、山積みなのが観通せてしまうのだが
その鈍感さ、独善性、厚顔無恥さに辟易(へきえき)して来る。
5分で疲れる。
やっぱり一番重いんだよな。
そしてまだ彼ら彼女らには余裕があるんだよね。
それでも少なくとも、老いる苦しみ、病気を与えられる苦しみ、死ぬ苦しみは、万人に与えられている。
本当に苦しんでから、本当に求めるようになってから、話しましょ、と言うしかない。
というようなわけで、フツーの人との交流が最も少ない私です。
人間好きなんだけどなぁ。
最低限の社交以外に噛み合う話題がないんだからしょうがないのでありました。