「そんなふうに『病気にまでさせて気がつかせてもらえる』という、こういう有り難いことはどうでしょうかね。」(近藤章久対談『心身平安』より)

「必ず人間にはむしろ自分の欲望がドンドコ行っているときには気がつかない。つまり、そこでうまく行かなくなって挫折感を感じて、心の痛みを感じて、心の痛みを感じたときに、案外そういうことに気がついちゃうことがあるんですよ。『痛感する』っていうんです。ですから『痛み、有り難し』「挫折、有り難し」ということですね。ノイローゼになって私のところへいらっしゃる方もそのときチャンスがあるわけですね。」
「それは『今まで気がつかなかったことを気がつかしてくれる大きな縁』ですよね、『力』です。」
「そんなふうに『病気にまでさせて気がつかせてもらえる』という、こういう有り難いことはどうでしょうかね。
「あらゆることがチャンスだと思うんです。その人によりまして、非常にうまく行ったときも、『あ、うまくいったのは何故だろう?』というふうに考えますと、すぐに自分を超えたものに気づかせるものもありますね。『あ、こんなふうに健康なのは何故だろう?』というところに『支えられている自分はは何だ?』というようなことに気づくんですね。
「『挫折も縁、成功も縁』ですね。あらゆるものがそういうセンシビリティと言いますか、自分の中に深い感じる気持ちがあります…。


思い通りに行ったときは、それで満足して喜んで、それで終わり。
また、思い通りに行かなかったときは、それが不満でガッカリして、それで終わり。
そういうことが多いんじゃないでしょうか。
しかしそこで終わりにしないで、「思い通りに行ったこと」「思い通りに行かなかったこと」が与えられたことの“意味”を考える、感じる。
そういうことがとても大事なんじゃないかと思います。
そういうことが与えられることによって、気づかせてもらえる大切な何か
があるんです。

そしてそれは、愚かな我々にとって「思い通りに行ったとき」よりも「思い通りに行かなかったとき」の方が気がつきやすいのかもしれません。
ですから、私は患者さんによく言うんです。
「あなた、折角苦しい思いをしたんだから、ちょっと楽になったくらいで『喉元過ぎれば』になっちゃあ、もったいないでしょ。これからのあなたの生き方に関わる大切なことを一緒に見い出して行きましょうよ。」

そこに込められた深い意味を感じ取ることができれば、人生、無駄なことは起きない、と私は思っています。


 

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