新人として対人援助の現場に出たとき、当然ながら、何をどうして良いやらわからず、大変不安なものである。
それはわかる。
むしろ不安になるのが当たり前である。

そして先輩上司などに
こういうときはどう言ったら良いんですか?
こういうときはどうしたら良いんですか?
といったハウツーをつい訊きたくなる。

気持ちはわかるが、これが道を誤る第一歩。
そしてまた、そういうときに出逢った先輩・上司が碌でもないと、対人援助職としての一生が台無しになる危険性がある

私が講義をしていたとき、教室に行くと他の講師の作成した配布資料が教壇の上に残っていた。
『相談援助技術』という科目のその資料には
「腹の底からイヤなクランアントに笑顔で接することのできる技術を教えます」
と本当に書いてあったのを見て、軽い眩暈を覚えた。
そもそも『相談援助“技術”』という科目名が気に入らない。

また、某学会の精神療法を専門とする精神科医たちが編集した精神科面接の本を読んでみたところ、その「技術」「演技」「テクニック」の記述のオンパレードに軽い頭痛を感じた。

これらだけでなく、医療福祉保健機関などで、先輩・上司から新人がおかしな指導をされているところを見かけたときには、「おい、それ、違うんだけどな。」といたたまれない気持ちになって来る。

だから、言っておきます。

「面接」も「相談」も「精神療法」も「カウンセリング」も、「技術」「演技」「テクニック」ではありません。

そんなこともわからず、何年~何十年とやってるうちに、小手先でペラッペラの「技術」「演技」「テクニック」の引き出しをいっぱい抱えた対人援助職になっちゃったのね。
そしてそれをまた不安な後輩・後進たちに教えて、碌でもない対人援助職を再生産して行くことになる。

やめてくれ。

まず何よりも大切なのは基本的人間観。
そして治療観。
さらには世界観。

それがなければ対人援助ができるわけないでしょ。
もちろん人間観、治療観、世界観と言っても、それが単なる観念的遊戯じゃあしょうがない。
体験に基づいて血となり肉となり、それがその人の“生きる姿勢”として体得されたものでなければ意味がない。

それを教えることのできる先輩・上司の許(もと)でないと、碌な対人援助職は育たないよ。

「策士、策に溺れる」
ような対人援助職になるべからず。
目指すなら
「大巧は巧術なし」
その真意を極められる対人援助職を目指すべし。

 

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。