「大体、人間っていうのは、ゴタゴタしているのが普通ですね。」(近藤章久座談会『人間の欲望』より)

頭文に続いて
「私はいろんな症状、いろんな苦しみに接して、患者さんの話を聞いていると、自分の中にも思い当たり、やっぱり同じようにも感じるものがある訳です。ああ、この人も私とおなじようなんだな~と。そうすると患者さんの方も『先生もそうなんですか』と、感じてくださる訳ですね。そこに共に、人間としての、ありのままの ー あんまりみっともいい姿じゃないですが ー その姿を一応、お互いに認めていくひとつの状況が生まれるわけです。それこそ、お互いに無知なくせに、そうした姿を一緒に見られる。そこに、なるほど俺はこうなんだな~、ああそうか、というような安堵感というものが出てくる。そして、同時に、しみじみと『情けないですね』という感慨が湧いてくるのです。
分かっちゃいるけどやめられないというような、本当にゴタゴタしている自分の姿というものが見えますとね、それは悲しみを持ったもんですけれどね『お互いに感じ合い、人間ってそうなんですね~』という風な共感というものがあるわけなんですね。そして自分ひとりだけが、ゴチャゴチャゴチャゴチャやっていたのが、そうでないっていう感じがする訳ですよ。

人間っていうのは相当見栄っ張り(精神分析的に言うと自己愛的)なものですから、なかなか自分の「情けなさ」を認められないわけですよ。
それが認められるというのは
ひとつには、いよいよ誤魔化し切れないほど行き詰った場合と
もうひとつには、その弱みを吐露し共有できる相手との出逢いがあった場合ですね。

やはりここでも共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ」ですから。
あなたも凡夫、わたしも凡夫、だからこそ始まるものがあるわけです。
それを相手に感じてもらえるか否か。
“仲間の匂い”がするか否か。
ここらがね、難しいけれど勝負どころなんです、特に対人援助職ではね。
あんまり“偉い”“ご立派な”“専門職”にならないで下さいよ。
まずは、共に愚かな隣人でいましょ。


 

 

 

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