若き男性として性欲に苦しむ親鸞が救世(くせ)観音によって救われる話として「六角夢想」が知られる。
ちょうど今日八雲勉強会で取り上げたことを機にここにご紹介しておきたい。
もちろん以下は、私見に基づくものであることをお断りしておく。

鎌倉時代、比叡山で修業をしていた二十九歳の親鸞は、尊敬する聖徳太子創建で知られる京都の六角堂に百日参籠するという誓いを立てた。
当時の参籠は、夜になると比叡山を下りて六角堂に籠り、朝になると比叡山に戻ることの繰り返しだったという。
そして
その参籠の九十五日目の暁に、親鸞の夢に救世観音が現われた。
ちなみに、聖徳太子は救世観音の垂迹(すいじゃく:本地としての仏や菩薩が衆生を救済(くさい)するために人間などさまざまな形を取って現れること)と言われている。
そして救世観音は親鸞に以下の四句の偈文、いわゆる『女犯偈(にょぼんげ)』を授ける。

行者宿報設女犯(ぎょうじゃしゅくほうせつにょぼん) 
我成玉女身被犯(がじょうぎょくにょしんぴぼん) 
一生之間能荘厳(いっしょうしけんのうしょうごん)
臨終引導生極楽(りんじゅういんどうしょうごくらく)」

意訳すると、
僧侶の妻帯は今まで禁止されて来ましたが、もしあなたが宿業によって妻帯を許されるならば、私(救世観音)は玉のような美しい女性になって、あなたの妻となりましょう。そして一生の間、あなたが念仏の教えを広めることを助け、あなたが臨終のときには極楽浄土に導きましょう。
ということになる。

初めてこの「女犯偈」を読んだとき、若い男性の煩悩の代表である性欲を、このような形で受け入れ、包み、救ってくださるのか、と強く胸を打たれたのを思い出す。
そもそも人間に生まれて、性欲を抑圧することによる弊害は、医学的に見ても、そして精神分析的に見ても、甚大なものがある。
ご立派に禁欲を達成してみたところで、肉体がそのように作られていない以上、その達成を上回るおかしな皺(しわ)寄せが起こって来る危険性が高い。
そして、ならば、どうする、となれば、このように救っていただくしかないのである。

やはり凡夫、我らはどこまで行っても凡夫、それこそ聖徳太子が『十七条憲法』に示された通り、

「我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず、彼必ず愚かに非す、共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ。」

私は必ずしも聖者ではありません、彼は必ずしも愚かではありません、共に凡夫であるだけです。

やっぱり凡夫の煩悩を救っていただくしかないのである。

そしてまた、親鸞の妻・恵信尼(えしんに)もまた、親鸞を阿弥陀如来の応現として仰いだという。

ここに互いに礼拝(らいはい)し、包摂し、救い合い、育み合う、夫婦(パートナー)というものの根本的な姿がある。
そこに至る縁があるのが夫婦(パートナー)なのだ。

よくよく思いを致していただきたいと思う。

 

最後に、救世観音については、これまた聖徳太子ゆかりの法隆寺・夢殿の救世観音菩薩立像の拝観を強くお勧めしたい(特別開帳期間があるのでご注意を)。

 

 

 

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