時々「〇〇っていう人は先生のお弟子さんですか?」と訊かれる。

訊かれる度、以下の2通りでお答えしている。

[1]そもそも人間と人間との間に「師匠」-「弟子」という関係があると思っていない。
一人ひとりを通して働いている力が、その人の「本来の自分」を実現させて行くと私は思っている。
敢えて言うなら、その力が「師」なのかもしれない。

「親鸞は弟子一人ももたず候。」とは流石である。

すべては真実の弟子であり、人間親鸞個人の弟子ではないのである。

[2]しかし、上記のようなことを言っても、現実には話がややこしくなるので、“世俗的・形式的“な意味で「師匠」「弟子」という言葉を使うことは否定しない。

私も近藤先生の生前から「近藤先生は私の師である。」「私は近藤先生の弟子である。」と公言して来た。
しかし、近藤先生と私の間では、頭記の意味はとうにわかっている。
「師匠」-「弟子」というのは“世俗的・形式的“な符牒(ふちょう)に過ぎない。

それにしても、私の方から「〇〇は私の弟子だ。」というのは、蕁麻疹が出そうなので行っていない。

また、かつて私となんらかの出逢いがあったとしても、少なくとも今現在、八雲総合研究所に通っていない方々については、“世俗的・形式的“な意味でも「弟子」とは言えない。
今のあなたを私は知らない。

中でも、過去の経歴をわざわざ書いて弟子弟子詐欺をするのはやめていただきたいと思う。

行き着くところ、そんな呼称はどうでもいいから、各人、自分の未解決の問題や成長課題と向き合い、無限の成長あるべし、と願うばかりである。

 

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