子どもが選ぶことのできなかった生育環境の中で生き残るために、身につけざるを得なかったものがある。
それを身につけざるを得なかったのは小さくて弱い子どもには仕方のないことであるが、最早大人になって、そんなものは必要がなくなったにもかかわらず、いや、それどころか、その人が「真の自己」を生きるにはむしろ邪魔になっているにもかかわらず、なかなか手放せない場合がある。
子どもの頃は、それがないと不安だったんだろうね。寂しかったんだろうね。辛かったんだろうね。
逆に言えば、それがあると安心だったんだろうね、支えられたんだろうね、なんとか生きられたんだろうね。
だから、手放さそうとすると、あのときの不安や寂しさや辛さがよみがえる、亡霊のように。
そして、手放せない、手放さない、しがみつく、大人になっても。
これを「抵抗」という。
で、重要なのはそれから。
自分が「抵抗」している、そしてそれが問題である、ということに本当に気づいているか否か。
そして、その「抵抗」を超えて行きたい、と本気で思っているか否か。
「抵抗」があることが問題なのではない。
「抵抗」は起きるときには起きる。
私にも経験がある。
そうではなくて、「抵抗」していることを認めない、また、「抵抗」を乗り越えて行こうとしないことが問題なのである。
そしてそれは八雲総合研究所で重視する「情けなさの自覚」と「成長への意欲」という2点に直(じか)に関わって来る。
「抵抗」している自分を心底情けないと思っているか否か。
そして、「抵抗」を乗り越えて成長して行きたいと心底願っているか否か。
その二つを満たせば、人間的「成長」のための精神療法の対象となる。
おかしな生き方に、一方では苦しみながら、他方ではそれを手放せず、「抵抗」を続けている人は「治療」の対象となる。
そして「治療」にも踏み出さず、このままでいいかという人生を選ぶのであれば、そのまま生きて行っていただくしかない。
もう大人だからね。
そしてその人の人生は、その人が選んだようになる。