「それでは私たちの本来の自己を生かすための、生命の呼び声を聞くには、どうすればよいか。
私が、どなたにもお勧めしている方法は、『静かに、自分の心の中を見よう』ということです。功利的な欲望にまどわされず、素直に自分の心の声を聞いていこう、というのです。…
自分の心を見るためには、自分のイヤな点も見なければなりません。たしかに、苦痛なこともあります。しかし、一旦これができるようになると、不安、恐怖、憎悪などの苦しみから解放された、生き生きとした、本来の自分が次第に現れてくるのを感じ、認識することができるようになります。精神科の医師として、私が患者さんを治療するのも、患者さん自身が自分の心を見られるように、援助していることに他なりません。
ところで、いちばん基本的で根本的な不安の原因というものは…その人が自分の生命を生かしていないことからきています。自分の生命の呼び声をきき、正しくそれを生かしていれば不安はないのです。少なくとも根本的な不安はないわけです。…
神経症の方の不安は…どういう不安かというと、一見理由のない漠然とした不安なのです。この不安は漠然としているところが特徴です。何が不安だというのではなく、なんとなく不安なのです。
それは結局、自分の生命がいまの生き方ではだめだということを言っていることなのです。要するに、生命が充分に生かされていないことからくる不安です。
第二番目の不安は、自分が安心のもとだと思っている、つまり大脳皮質に植えこまれた価値観が揺るがされる時です。例えば金を非常に重要だと思っている人間が…金の値打が下がったら、それは大変な不安です。また、地位があれば、その地位を奪われないようにする不安とか、権力をもっている人は、その権力を失わないように守っていく不安とか、いろいろあるわけです。…
そこで、そういう不安を持っている人を、どのように助けていくかというと…最初は、その人がどんなふうに不安かということを、私も共感していこうとします。一緒にいろいろと話をよくきいて、その人の不安な状況に身を置いてみます。そうすると、その人は、自分と一緒に不安をわかってくれる人がいるという安心感が出てきます。すると、不安が少なくなってきます。
少なくとも、最初の訴えというのは、『私の気持をわかって』ということです。『わかって』というのは、『正しいとか、誤っているとかと言ってほしい』というのではない。『共感して下さい』ということです。医師であっても、なかなか難しいことですが、その人の細かい心の襞々(ひだひだ)にまで、自分自身の心の襞がスーッと入っていくことができればすばらしいことです。
それができない場合は少なくとも、軽はずみな粗雑な発言をしないことが大切です。自分がほんとうに納得した時だけにしか、ほんとうの意味の決定的な発言をしないことです。それまでは、『こうじゃないだろうか、ああじゃないだろうか』と、クエスチョン・マークをつけた聞き方をしていきます。そうすると、先方が、『そうかな…』といろいろ考えます。『ああ、こうだな』とその人自身が納得してわかる時に、はじめてその人は、一歩自分について理解し、それを重ねるにつれて『これはこうだ、あれはこうだ』と自分の内部がだんだんはっきりと整理されてきます。…
それがはっきりすると、『なるほど不安になるわけはこうだ』と自分の心がほんとうによくわかってきます。それまでは、心の中がゴタゴタ混乱して、なぜ不安なのかさえもわからなかったのですが、次第に整理されてくると、いつのまにか心が落ち着き、自分で自分の不安の原因がわかり、それから解放されるようになります。
そうして不安から解放されると、はじめて素直な実感が生まれてきます。こちらとしては相手の心を『ああでもない、こうでもない』とせんさくするのではなく、不安な気持をそのままに聞いて、できるだけ整理してあげることによって、相手の方も次第に自分自身の混乱に気づき、素直な静かな気持になれるでしょう。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)
「いちばん基本的で根本的な不安の原因というものは…その人が自分の生命を生かしていないことからきています。」
「それは結局、自分の生命がいまの生き方ではだめだということを言っていることなのです。」
ここに「不安」の重要で積極的な意味があります。
「不安」はただイヤなもの、ダメなものではありません。
その「不安」の中に、あなたの生命(いのち)からのメッセージが含まれているのです。
「その生き方、やめましょ。」
「その考え方、間違ってますよ。」
そして、そういう「不安」に苦しんだことのある方ならおわかりでしょうが、「不安」はちょろまかしでは消えないんですよね。
そりゃあ、一時(いっとき)なら誤魔化せるかもしれません。
でもね、抗不安薬ですら、効果が切れれば、元の木阿弥なんです。
よって、「不安」の中には、さらに
「本来の自分を取り戻しましょう。」
「本当の自分を生きましょう。」
というメッセージも含まれているということをしっかりと認識する必要があります。
そして(一時的なちょろまかしではなく)、真の自己の実現という大テーマに向かって、敢然と取り組んで行く必要があるのです。