継父逮捕の夜に思う。
私の実母は後妻であった。
前妻は、祖母の嫁いびりに耐え切れず、幼い娘を残して家を出たという。
若かった母に縁談の話があったとき、初めて会った姉のみすぼらしい格好を見て、「可哀想だと思ったのよ。」と言っていた。
そんな同情から始まった継母業は、簡単なものではなかった。
祖母からの嫁いびりは相変わらず相当なものだったし、
負い目があるためか、祖母も父も姉を過剰に庇(かば)い、母が口や手を出せる状態ではなかったらしい。
その後、母は男の子を四人産み、姉が嫁ぎ、祖母が他界した頃には、完全に松田家における立ち位置を確立していた。
しかし、まだ娘に負い目を感じている父親がいたため、姉との関係性はビミョーなままとなっていた。
幸い私と姉との関係は、ひとまわり以上の年齢差もあり、遊んでくれた記憶もあって、問題を感じたことは一度もなかった。
そんなある夜、当時の私は高校生くらいだったと思う。
母と二人になったときに(そう言えば、こういう話し相手もいつも私だった)、何かの話から、母が祖母と姉の悪口を始めると、いい加減聞き飽きた私は、業を煮やして訊いてみた。
「姉ちゃんを本当の娘のように愛そうとは思わんかったん?」
すると、母ははっきりと即答した。
「そんなことできるわけないじゃん。」
私は落胆した。
今、大人になってみて、そうして精神療法家になってみて、そういうことが簡単でないことは百も承知である。
自分が母親の立場であったとしても、それができたと言い切れる自信はない(実子でも思春期の生意気盛りの対応は大変である)。
しかし、しかしである、せめて「ずっと愛そうとして来たのよ。」くらいのセリフは聞きたかったと思う。
できないのは問題ではない。
しようとしないことが問題なのである。
今までの経験から、いわゆる“生(な)さぬ仲”、連れ子、養子、里親であっても、愛されている人たちがいることも私は知っている。
そんなに深刻に考えないでいいんじゃないの、と思う人も多いかもしれないが、
少なくとも私は、継父・継母になるときには、パートナーだけでなく、子どもも愛そうとし続ける覚悟だけは持っていただきたいと願う。