「私が学校の生徒たちを見ていて感じることは、一人ひとりが、みなそれぞれの能力、特徴を必ず持っているということです。…
たしか室町時代の禅僧、一休禅師と思いますが、『どのような材木にも釘を打つべき一点がある。無数の点があるように見えるが、真に打つべき一点がある』と言われました。…
親はわが子の一点、この一点を見つけるということが非常に大切だと思います。
一点というと、お父さんやお母さんが、自分たちの立場から考える一点と間違いやすいのですが、それでは真の一点にはなりません。その子に対しての、功利的ではない、静かに見通した観方、透徹した眼が必要です。透徹した眼というのは、深い実感と通じるものです。わが子の一点を実感する、その感じには混ざりものがありません。ですから直接に、的確に、わが子の釘を打つところ、わが子という材木の釘を打つところを感じるわけです。…
この一点に至るための具体的な親の態度について言えば、余り難しく考えないで、例えば子どものよいところを見つけることからはじめられたらどうでしょうか。それを見つけるのは何といっても親ですから、自然に愛情を通して感じ、子どものよいところが見つかります。よいところを見つけたら、案外いままで気にしていた悪いところが気にならなくなります。
そういうふうにしますと、次第に子どもを全体として認めることができ、その子に対する信頼の気持が出てきます。最初は意識的な努力でもかまいませんから失敗を恐れないで、このようにわが子のよい面に注意を向けてみるようにしたいものです。
そこで、失敗を恐れないということと、この一点しかないということとの関係ですが、失敗というのはこの一点に至るまでのプロセスです。失敗というのは、すぐにうまくいかなかったことが残念だというだけの話で、失敗はこの一点に到達する過程であると考えて下さい。その意味で、失敗を恐れるよりも失敗から学べ、といった方がいいでしょう。あるいは失敗によって伸びるということです。…
そうすれば、子どもが失敗した時に、『オレも失敗したよ』と子どもの経験に共感するだけのゆとりを親の方が持てることになります。その気持は『失敗しながら成長していくのだよ』という親の気持です。
私自身…どれくらい失敗によって教えられ救われたかわかりません。成功ばかりだったなどということはないのです。むしろ失敗の経験に満ちています。しかしそれによって、人生というものの深みを感じ取ることができました。人間というものはどういうものかも、しみじみ教わりました。
こうしたことはやはり、失敗の経験がないと感じられません。そういう経験が、自分の生命というものをほんとうに感じるために役立つのだと痛感させられました。
この痛感という言葉は、失敗の経験によって知る感情を示しています。成功した体験の場合は、なんとなくいい気になるところがあって、うれしいにしても感じが表面的でしかありません。痛感という言葉には、痛みという文字が使われているところが面白いと思います。痛みというのはいやなものです。しかし深く感じるものです。いやなことの方が、楽しいことより深く感じられるということは意味深いことと思います。失敗もいやなことです。しかしそれは、痛みとして深く感じるものです。私たちは深く感じるものからしか、どうも学べないようです。その意味で失敗は私たちに心の痛みを覚えさせ、それから学ばせてくれるものです。
心の痛みといえば、私自身にしましてもいろいろなプライドもあるし面子(めんつ)もあります。いろいろな虚栄心があります。そういうものが人様から、あるいは事に際して見事にはっきりと指摘され、露呈された時、『ああそうだ』と感じると同時に、心に痛みを感じます。しかし、深く感じるその痛みと同時に、なにか心の中に、爽快感がみなぎる体験として有難いと思うのです。自分ではぶちこわせなかったのもが、人によってパシッとこわされた時に、『あっ!』と思います。しかもそれでいて救われた気持です。自分の中の虚偽が否定されて、もう実に爽やかないい気持を与えられます。その瞬間は痛くてたまらないのですが、あとでいい気持になってきます。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)

 

まず「一点」について、「その子に対しての、功利的ではない、静かに見通した観方、透徹した眼が必要です」という近藤先生の言葉が胸に響きます。
「君は算数はダメだけれど国語は良いね。」というような「功利的」な「一点」ではないのです。
本当の意味で、その子ならではのもの、それが「一点」です。
それを探すには、親自身もまた自分の「一点」に気づく必要があるかもしれません。
そして「失敗」から「痛感」すること。
これは八雲総合研究所だからこそ、ひしひしと思い当たるところがあります。
そう、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持った方々だからこそ、自分の成長課題や問題についての「指摘」を受け入れる準備ができているのです。
これは当たり前のことではありません。
私も“通常の”人間関係では、まず「指摘」はしませんし、稀にすることがあったとしても、それが相手に受け容れられることは期待していません(大抵「指摘」された人は、怒るだけで成長しません)。
そのように、「失敗」から「痛感」することは、準備ができた人にだけ可能なことなのです。
そして、そういう本気の人たちの成長に関われることこそが、私にとってはこの上なく有り難く、やりがいのあるミッションなのです

 

 

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