花見とは何か。
それは、私が対象物としての桜を鑑賞することではない。
花咲く桜を機に、桜を桜させようとしている働きを感じ、それが私を私させようとしている働きと同じであるということを感じるのが花見である。
西行は詠(うた)った。
花見れば そのいはれとは なけれども 心のうちぞ 苦しかりける
(桜を見ると、その理由はわからないけれど、心の中が苦しくなってくる)
西行がその理由を知らないはずがない。
桜は桜しているのに、どうしておまえはおまえしないのかと、桜が私に迫るのである。
そうして、桜が桜し、私が私したとき、桜と私は最早、別の存在ではなくなるのだ。
それが花見。
そんな愛(め)で方もあるということを知っておいていただきたい。