ある男性が、地域のサッカーチーム(女子中学生)のコーチを頼まれた。
知り合いの監督から直々の依頼である。
元々サッカーの盛んな地元で育ち、小・中・高・大とやってきたスポーツなので、二つ返事で引き受けが、やってみて驚いた。
今どきの女子中学生の、まぁ、生意気なこと。
当たりのソフトな彼は忽(たちま)ちになめられ、全く言うことをきかない。
業を煮やして大きな声を出すと、少しは言うことをきくが、気を抜くとあっという間に元に戻ってしまう。
監督の指導を見ていると、極めて威圧的で、恫喝も日常茶飯事。今どきだとハラスメントじゃないかと思うが、選手たちはビシッと言うことをきき、少なくとも表面的にはとても従順である。

そこで悩んだ彼は、監督と同じようにやってみたが、どうしても恐怖で支配するやり方は性(しょう)に合わない。
さりとてソフトに出れば、なめられる。
厳しく出るのと優しく出るのと、どっちがいいんでしょうか?
それとも両者のバランスなんでしょうか?
というのが、彼からの質問であった。

答えはその二択ではない、とお答えした。
人間存在の二重構造から説明し、
子どもたちの存在の奥にある生命(いのち)に対しては、無条件の畏敬の念を抱きながら、
二次的に後から付いた、表面の神経症的な部分、あるいは、思春期における、この生意気で自己中な部分に対しては、容赦なく厳しく接する。
むしろ前者の畏敬の念があるからこそ、後者も容赦なくビシビシと当たれるのである。
それによって、厳しいけれど愛のある指導が成立することになる、とお伝えした。

何か腑に落ちた彼は、生気を取り戻した顔で
「やってみます。」
と言い、私は
「すぐに結果が出ると思わないで、まずは3カ月、コツコツ続けていくんですよ。」
と付け加えた。

このことは中学女子サッカー選手の指導だけに当てはまることではない。
もしあなたが誰かを指導する立場に立ち、思い悩むことがあったならば、参考にしてみて下され。

 

 

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