昨日からの続き。

で、今となっては、自分が観た演目が、歌舞伎座百年の記念興行のものなのか、その前後に観たときのものなのか、記憶の彼方となってしまったが、いずれにせよ、印象に残っているものがいくつかある。

まずは、一世を風靡した孝玉コンビ=片岡孝夫(現・十五代目・片岡仁左衛門)+五代目・坂東玉三郎コンビである。女形としては身長のある(173cm(らしい))玉三郎だったが、孝夫(177cm(らしい))とのコンビはばっちりで、二人揃った姿は実に惚れ惚れとするものがあった。特に若い頃の玉三郎の美しさは筆舌に尽くし難く、口を開けて見惚れては、隣席の家人に「よだれ、よだれ。」と注意されたのを覚えている。『国宝』にも出て来る『鷺娘』での海老反りシーンなどは、この世のものと思えぬ美しさであった。機会があれば、皆さんにも是非、当時(1970~1980年代)の動画を観ていただきたいと思う。そしてその二人が今も活躍中で、二人揃って人間国宝となっていることは誠に感慨深い。

次に、人間国宝と言えば、当時すでに人間国宝であった六代目・中村歌右衛門も忘れ難い。稀代の立女形と言われ、当時若女形であった玉三郎にもしばしば稽古をつけている。しかし、私の思い出は芳しくない。歌舞伎座・最前列で歌右衛門の舞踊を観ながら爆睡し、これまた隣席の家人に突(つつ)いて起こされたが、当時生意気だった私は「芸の力で起こしてみろ。」と嘯(うそぶ)いたのを覚えている。成駒屋さん、ごめんなさい。そして、この歌右衛門と玉三郎の関係性が『国宝』のモチーフのひとつになったのではないかと私は思っている(中村歌右衛門=小野川万菊、坂東玉三郎=立花喜久雄(玉三郎も梨園の血統ではなく、料亭の子として生まれ、後に十四代目・守田勘彌の養子となった))。

そして、最後にどうしても書いておきたいのが、初代・尾上辰之助のことである。某有名女優とも浮名を流し、酒が過ぎて肝硬変となり、吐血して入院。その復帰舞台の『お祭り』での姿が忘れられない。『お祭り』は病気からの復帰のときによく使われる演目で、鳶頭(とびがしら)に扮した役者が現れると「待ってましたっ!」と大向こう(掛け声)がかかり、ちょっ照れた鳶頭が「待っていたとはありがてぇ。」と受けて返すのがお定まりである。そのときの辰之助には、少しやつれただけでなく、白粉(おしろい)を突き抜けて伝わって来る青白さがあり、彼の自己破壊的な生き方を象徴するようで、なんとも言えず物悲しく、それでいて独特の男の色香を感じたのを覚えている。その翌年、40歳で逝去。このような歌舞伎役者はその後も見たことがない。

そして、歌舞伎座百年の記念興行の後、私の関心は、次第に能・狂言に移り、今は全く観劇に行かなくなってしまった。
その懐かしい記憶を思い出させてくれたのが、映画および小説の『国宝』であったと言えるだろう。
今の歌舞伎ファンからすれば、ちょっと昔の話になったかもしれない。
読み流していただければ幸いである。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。