映画『国宝』のロングラン上映が続いている。
私も鑑賞し、先日、原作の吉田修一『国宝』上下も読了した。
映画、小説については、今さら私から申し上げることはないが、こと、歌舞伎となると、それにまつわるいろいろな思い出が蘇(よみがえ)って来る。
まずは歌舞伎好きだった亡母の話。
母は、広島から上京して旧制女子専門学校を卒業後、何を思ったのか、日本舞踊の名取となり、さらにお師匠さんの内弟子にまでなって稽古に励んでいたという。
(ちなみにこの「お師匠さん」の江戸っ子の発音がすこぶる難しい。「おししょうさん」はもちろんダメで、「おしさん」と「おしょさん」の間ぐらいを行かなければならない。何故か私の発音によく母からダメ出しを喰らっていた)
そんな母が将来、舞踏家になりたかったのかどうかは訊かず仕舞いで、鬼籍に入ってしまった。
その母が生前、上京して来ると、舞踊の血が騒ぐのか、歌舞伎座に行こうと言い出すことがよくあった。
そして四人の息子のうち、そのお相手は何故かいつも私であった。
で、行くのは決まって通好みの一幕見席、歌舞伎座の4階にある自由席である。
今でも覚えているのは、かなり年輩の着物姿の白髪角刈りのおじいさんが最前列に陣取り、しかも立ったまま、ここぞという時に
「音羽屋っ!」「七代目っ!」「たっぷりだっ!」
などとこれまたよく通る渋い声をかけるのである。
不思議なのは、その左手に蓋つきの陶器の湯呑みを持っていたこと。
それを時々口にしてノドを潤しながら声をかけるのである。
どうやってそんなものを客席に持ち込んだのか?
今思えば、何らかの関係者だったのかもしれない。
そうなると、自分も声を掛けたくなるのが私の習性。
しかし、変なタイミングで声をかけると、「黙れっ!」「間抜けっ!」などと厳しい叱責を喰らうので(最近は若い女性客が「勸玄ちゃ~ん。」とか言っても許されるらしい)、ビギナーの私は最期、幕が下りるとき、誰でも言いたい放題のどさくさタイミングで声をかけていた。
そしていろいろな演目を見ていると、隣で粗筋の解説を始め、特に、私も連獅子を踊ったのよ、という自慢話は耳タコであった。
なんでも途中でお尻を床にドンと落とす場面があり、男性の歌舞伎役者なら思い切りやって良いが、若い娘がそれをやると子どもが産めない体になる、と言われたらしい。
産婦人科的にナゾーな話であるが、初心(うぶ)な私は、ほぉー、そういうものか、と拝聴していた。
その後、月日は経ち、とんと歌舞伎とは縁遠くなっていたが、結婚後、何が契機だったのか、今度は自分でぽつりぽつりと観に行くようにはなっていた。
そしてそんなときに始まったのが「歌舞伎座百年」(1988(昭和63)年)の記念興行である。
一年間毎月、トップクラスの歌舞伎役者がこれでもかと顔を揃え、歌舞伎十八番などを演ずる、贅沢この上ない興行だったのである。
ならば、行かずばなるまい。
私は意を決して、一年間毎月通ったのであります。
長くなるので、つづきは明日に…