「思春期、青年期は…自分というものの発見に苦しむ時代です。
親が、小さい時から子どもの内部感覚(生命の湧き上がる感覚)を尊重し、子どもの生命をのびのびと健康に育てていると、この時期を通じて自分の個性、独自性に目覚め、自覚することは比較的楽ですが、それでもいままでの経験や考えではわからない、未知の問題が起こってくるたびに、青年たちはずいぶん苦労するものです。
特に、成長にともなう生命力は強く、それを感じる内部感覚はさまざまな形で、はげしく身内を衝き上げます。その量や経験が多いために、それを整理したり方向づけることがなかなか困難で、ともすれば混乱するものです。…
しかしこの時代は、人間が成長して自分自身になるために避けられない、通貨しなければならない時代です。まずそう覚悟していただきたいのです。…
また青年期は、親に知られぬ秘密を持つと言われます。…しかし私は、この秘密を持つところに、青年が自分の内部感覚によって自分の考えを明確にし、自分で判断し、確信と責任をもって行動する、独立人への第一歩を模索する姿をみます。
ともあれ、このように内部が敏感で不安で、自分がはっきりしていない状態にある時に、そこから脱する方法として最も手近でやり易いのは、自分を外側の他人と比べて、相対的に自分の価値を定めるやり方です。…
そこで青年は無自覚に、敏感な関心を外に向けて、他と自分とを比較して、自分の値打ちを決めようとします。しかしその場合、陥りやすい危険は、一つには自分のいちばん短所や弱点と思っているとことと、他人のいちばん優れていると感じていることとを比較することです。第二には、それを自分の致命的な弱点だと独りぎめすることです。第三には、そればかりに気を取られて、極端になると他のことを考えられなくなることです。…
自分と他人を比べて自分の欠点を過大視し、独断的に自分を価値のないものと感じるのを劣等感といいますが、一方では自分の長所を過大視して自惚(うぬぼ)れる優越感もあり、ともに青年期の多い現象です。そして一般的には、劣等感を感じて苦しむ方が多いのです。…
しかし根本的には、この時期の特徴は、青年の中に宿る生命が、その進路や方向を求めて、揺れ動き、不安に悩みながら真剣に模索している状態であると言えます。…しかしその苦悩の中で、もがき、耐え、努力する過程に成長があり、発展がうまれ、自分の中に宿る生命のほんとうの願いを見ることができるのです。…
この理解に立って、ただ親であるばかりでなく、共に一人の人間として人生を生きて行く先輩、友人として、暖かい共感とともに、ある距離を置いて、大きく見守る、寛容な態度を取ってもらいたいと思います。…
こうした親の理解は、別の言葉で言いますと、子どもに宿る生命の力を信ずるということです。当然なことに子どもたちは、信じられていることを感じるものです。信じられていることを感じますと、子どもたちの生命は生き生きと強く動いていきます。…
親のこうした深い理解に基づいた信頼の眼が注がれている時には、子どもの生命に内在する自然な回復力、健康な成長力は、必ず自分を生かす方向を見つけ、過去の苦しみの経験を生かして、力強く伸びていくものです。
」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹っ社より)

 

思春期・青年期の時代は疾風怒涛(しっぷうどとう:Strum und Drang)の時代と言われます。
しかし、どんなに荒れ狂う時代であっても、その中に、本来の自分を実現して行こうとする勁い力があることを、親が、大人が感じられるかどうか、信じられるかどうか、ということが最大のポイントとなります。
そしてそのためにはまず、親自身が、大人自身が、自分自身のことにおいて、内なる本来の自分を実現しようとする力を感じられているか、信じられているか、ということが非常に重要になります。
そうなんです。
やっぱりここでも、親と子の成長は同時、教師と生徒/学生との成長も同時、医療福祉関係者と患者さん/利用者さん/メンバーさんの成長も同時という根本原理に行き着くことになります。
どうか思春期・青年期の子どもたちに関わるときも、
そういう視点で、先輩・同朋として成長して行く苦悩とそれを上回る喜びとを共に体験して行きましょう。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。