私は、学校に行くこと自体が無条件に良いことだとは思っていない。
それよりも、その子がその子に生れて来た以上、その子に与えられた意味と役割を果たしているか、果たせるように成長できているのか、の方が遥かに重要だと思っている。
よって、その子がその子に生れて来た意味と役割を果たせるようになるために、その学校に行った方が良ければ行けばいいし、行かない方が良ければ行かかなければいい(あるいは、他の学校や他の学ぶ道を探した方がいいかもしれない)。
それだけのことである。
但し、自分に与えられた意味と役割を果たすことができるようになるための教育や修練は、学校と関係なく、必要不可欠だと思う。
同じことが就労についても言える。
私は、就労すること自体が無条件に良いことだとは思っていない。
それよりも、その人がその人に生れて来た以上、その人に与えられた意味と役割を果たしているか、の方が遥かに重要だと思っている。
よって、その人がその人に生れて来た意味と役割を果たすために、その仕事をした方が良ければすればいいし、しない方が良ければしなければいい(あるいは、他の仕事や他の働き方を探した方がいい)。
それだけのことである。
但し、自分に与えられた意味と役割を果たすことができるようになるための教育や修練は、職場と関係なく、必要不可欠だと思う。
世の中には、そういう「基本中の基本」、明確な「教育観」「仕事観(労働観)」「人生観」を押さえずに、なんとなく不登校児の支援や就労支援をしている人たちがいる。
ただ、学校に行くことや、働くことが、良いことでしょ、当たり前でしょ、と思って支援をしている人たちがいる。
それじゃあね、支援をしているようで、進む道を間違えるわな。
実際に、学校に行ったり行かなかったり、転職と離職を繰り返すのが関の山である。
まず試されるのは、支援者の方なのである。
で、あなたは、あなたに生れて来た意味と役割を果たしていますか?
少なくとも、それを一所懸命に目指していますか?