「私ね、一番嬉しいのは、こういう仕事をしながらね、子どもをやるでしょ。お母さんが良くなっちゃう。お母さんが良くなると、お父さんが良くなる、全体が良くなっちゃう。とてもそれが楽しいんですよ、ね。で、これはね、教育っていうのは、学校でもって教育するのが教育委員会みたいですけどね。でもね、こういうふうに言いますとね、僕は医者としての、こういう仕事をしながらね、一種の社会教育だと思ってんですよ。それでね、その方がまた他の方と付き合われるでしょ。他の方もまた、そういうことで感じますね。段々とこう広がって行くね。だから私は、とっても今、自分がやってる仕事がね、教育もね、だから医学もね、ちっとも矛盾しないもんだと、こんなふうに思うんです。」(近藤章久講演『子どもの自殺と非行に走る心理』より)
こういう家族から家族への、人から人への波及効果とでも言うのでしょうか、家族については私も何度か経験があります。家族の順番がちょっと違いますが。
以前、思春期の子どもたちの不登校に関わっていた頃、まず最初から本人は外来には来ません。来られるのは大抵、お母さん一人です。
そして、お母さんと何回も話すうちに、少しずつ少しずつお母さんが変わって来ます。
するとある日、お母さんと一緒に、本人がふらっとやって来ます。
そして本人は余りしゃべらず、最初はちらちらとこちらをみているだけですが、お母さんによれば、お母さんの変化を見て、どんな医者か一遍見てみようと思って来たとのこと。
それがポツリポツリ通って来るようになり、段々話してくれるようになります。
そして段々元気になって、顔つきまで変わって来ます。
これからのことも本音で話せるようになります。
…と、忘れた頃に、お父さんがやって来て、周回遅れ、かつ、カメの歩みで成長して行きます。
大抵、お父さんは最後です。
そんなことがありましたね。
確かに、成長の連鎖はとっても嬉しいです。