2019(令和元)年5月4日(土)『Xさんへ』
「他者評価の奴隷」ということは度々申し上げて来た。
我が国においても、時代が令和になっても、他者評価を気にする方々がまだまだ多いように感ずる。
いつも先聖たちのことを思う。
イエス・キリストがどうであったか。
釈尊がどうであったか。
孔子がどうであったか。
彼らでさえ、酷い他者評価どころか、生死に関わる迫害まで受けて来た。
人格が高邁であれば、言動に気をつけていれば、誰からも評価されるというのは、残念ながら幻想である。
だとすれば、三聖に遠く及ばない我々が、悪意の攻撃や、病的非難に晒されることなどは当たり前なのである。
娑婆には、常に悪意の人、病的攻撃性の人間が存在する。
それは私の臨床経験からも断言できる。
それはカスタマーレビューや書き込みやクレームや苦情やSNSなどを見れば、あなたにもおわかりでしょう。
だから振り回されることなかれ。
基本は、自分の評価は自分で決めることだ。
自分自身が一番厳しい自分の評価者であれば良い、本質的な意味で。
そしてもし他者の評価を採用するのであれば
その評価者を選ぶべし。
信頼する人以外は、その評価がどんなに高くても、どんなに低くても、即ゴミ箱行きであるし、
反対に、信頼する人であれば、その評価がどんなに高くても、どんなに低くても、真摯に検討するべきである。
そしてその結果がどうであっても、人生単位でその責任を取れば良い。
あなたの人生の主人公があなたであることを忘れてはならない。
他者評価の奴隷、排すべし。