久しぶりに江戸期の民謡集『山歌鳥虫歌』を眺める(昔、勉強会でも取り上げた気がする)。
たまにこんな歌に無性に触れたくなる。
「梅は匂(にほひ)よ 桜は花よ 人は心よ 振(ふり)いらぬ」
[意訳]梅は香り、桜は花、人は心で魅(ひ)かれるもの。余計な素振りは要らない。
人は心で行きたいね。やっぱりこうこなくっちゃあ、と思ってしまう。
類歌に「梅は匂ひよ 桜は花よ 人はみめ(見目)より たゞ心」もある。
これが江戸期なら、ちょっと粋な三味線もほしくなるところである。
「はやる簪(かんざし) 髪かたちより 直(すぐ)な心が 美しい」
[意訳]流行の装飾品やヘアスタイルで飾るより、まっすぐな心が美しい。
清き明(あか)き心以上に美しいものがあるはずないもの。
ちょっとお姐(ねえ)さん、お銚子一本、と言いたくなってくる。
こういう歌(何よりも心映えを大切にする歌)を普段から呻(うな)っていた文化を持つこの国は、なかなか捨てたものではないと思う。
気分が良くなって来たところで、おまけにもうひとつ。
「吉野川には 棲(す)むかよ鮎(あゆ)が わしが胸には こひがすむ」
「鮎」と「愛」、「こひ」と「恋」を掛けました。
ちょっとお姐さん、お銚子おかわり、である。
※後日『写真と詩(うた)『風信帖』』の方に転載する予定です。