「指導」という言葉をちょくちょく耳にする。
どこか上から目線で余り好きではない。
それでもどうしても「指導」という言葉を使いたいのであれば、「誰が」「どこへ」指導するのか、ということをチェックしてみる必要がある。

多くの「指導」の失敗(とはっきり申し上げるが)は、まず「どこへ」をしくじっている。
指導者が勝手に思い浮かべた「あるべき姿」に向かって相手を「指導」しても、それが成功するわけがない(短期的、表面的には合わせてくれるかもしれないが)。
「相手が本来何者なのか」をちゃんと観抜いて、その人が「本来の自分」「真の自己」を実現できるように「指し導く」ことが、本当の「指導」なのである。
「指導」のゴールは、こちらではなく本人の中にある。

そして、もうひとつの「指導」の失敗は、「誰が」相手を指導するかというところでしくじっている。
多くの指導者は、「オレが」「私が」、もっと言うと、「オレさまが」「わらわが」指導してやる、と思っている。
あなたの「我(が)」が立って「指導」するのであれば、それはあなたの支配であり、強制であり、操作に過ぎない。
万物、万人が「本来の自分」「真の自己」を実現して行くことは、人間個人のではなくて、この世界の、宇宙の願いなのである(昨日の「大願」でも触れた)。
その願いがたまたま私を通して現れているのである。
「この世界が」「宇宙が」たまたま私を通してあなたを「指導」するのであればわかる。

従って、
「指導」するとは、「この世界が」「宇宙が」たまたま私を通して、あなたをが「本来の自分」「真の自己」を実現できるように「指し導く」こと、なのである。

 

 

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